Hexastyle オリジナルプレミアムロッドチューブは竹のワンピースチューブです。 Hexastyle bamboo rod の全モデルに標準装備 Premium handcrafted rod
tube come with each rod. |
Column
Episode 1 聖地キャッツキル 二十数年前のニューヨーク。ニューヨークと言っても、それはマンハッタンから車で2〜3時間程の所に
ある郊外の町だ。ニューヨーク州の中央部には、あの有名なキャッツキルの丘陵地帯があり、オニオンタはそのすぐ傍にある。近くには
デラウェアリバーのウエストブランチやビーバーキルが流れている。また、有名なロスコーの町やLANG'S
Auction で有名なウォタービル
の町にも程近い。或る日、世界で最初の野球場とベースボールミュージアムが在る有名な街、クーパーズタウンに行ってみようと思い立
ち、車を走らせた。丘陵地帯を流れる川沿いの田舎道を1時間程の道のりだが、その景色はまるで北海道を思わせる。道沿いの看板
が英語で書かれているだけで、川の流れや周囲の木々は見慣れた北海道の景色その物であり、違和感は全く湧かない。ドライブ中に
ふと道端を見ると、無造作に塀に立て掛けられた木製の大きな車輪が目に入った。そうだ、それは西部劇に良く出て来る例のやつ、幌
馬車の車輪だろうと推測できた。その大きな木製の車輪は軽く100年以上は経っているような様子で、殆ど朽ち掛けてはいたが、それは
、おおよそアンティークショップとは呼ぶに相応しくない古道具屋のディスプレイだった。時間も有ったので、何と無くその店に立ち寄って
みる事にした。カウベルの付いた古びたドアをカランと鳴らしながら中に入ってみると、何となく埃っぽいその店は、暗い蛍光灯が2つ点
いているだけで、店番などは誰も居ない様子だった。入り口のすぐ左側の足元には大きな古い瓶が置いてあり、その中には古い竹竿が
無造作に50本ほど立てられていた。それ
らは見るからにバラバラだったが、中には紐で束ねられ、対になっている物もあった。しかし、
どれもが完全なセットでは無く、フライロッドも有ればベイトキャスティングロッドも有り、更にはエサ釣りの継竿なども、バラバラに混じって
いた様に思う。中には埃まみれで、ラッピングが解れ、ガイドも取れそうになっている物さえ混じっていたが、その中から4,5を本手に取
って、取り敢えずどれか繋がる物は無いだろうかと合わせてみた。しかし、残念ながらそれらの中に完品となるロッドは無かったので、シ
ャフトに書かれたロッドメーカーのサインやエンドキャップの刻印を確める事も無く、その店を後にした。今になって思えばあの聖地キャッ
ツキル地方の古道具屋だ、素晴らしく価値のあるヴィンテージバンブーフライロッド、レナードやペイン、オーヴィス、ギャリソン、ギラム、
などが紛れ込んでいたかも知れない。もっと注意深く探せば何か見つかったかも知れないが、当時の私は、まだバンブーロッドに然程、
興味を持っていなかったし、もっぱらアメリカ製の最新カーボングラファイトに夢中だった。だから、それらを「ただの古い竹竿、アンティー
クロッド」ぐらいにしか思っていなかったのは確かだ。そして、そのすぐ横にはガラスのショーケースがあったので、ついでに中を覗き込ん
でみたが、厚く積もった埃のせいで中は良く見えなかった。一瞬、躊躇ったが手で埃を拭いて中を見ると、とても古そうな、錆びたリールが
20個ほど無造作に並べられていた。それらの殆どはブラスがニッケルシルバー製のフライリールだと思われたが、中には錆びの浮き上
がったメッキの物もあった。殆どのリールはサイドプレートに大きな花びら模様のような穴が開けられていて、スプールは筒型ではなく、棒
を梯子のように組み合わせた物だった。そう、それらはバーミンガムスタイルと呼ばれる、黒いサイドプレートの恰好のいいやつでは無く、
それよりもっと古い時代のリールだと思われた。
後で解かった事だが、それらはスケルトンと呼ばれる、更に古いタイプのリールだった。
確か1個、20ドルか30ドルの値札が付いていたと思うが、ハッキリとは覚えていない。そして、その値札もいつ書かれた物なのか、埃ま
みれではっきりと読み取れなかったのを覚えている。勿論、当時はリールもオービスやエイベルなどの最新マテリアルで作られたドラッグ
付きの高性能リールを使っていたので、値段は安かったがそれらのオールドリールを欲しいとは思わなかった。ただ、これも後で分かっ
た事なのだが、それらのスケルトンリールは、昔のシルクラインが乾き易いように風通しを良くする目的で、そんな構造だったらしい。今
は私自身もシルクラインを使っているので、当然スケルトンのアンティークリールに興味はある.。だから、今思えばその時5、6個買って
おけば良かったと後悔もするが、それも、後の祭りで手遅れである事には変わり無い。
当時は丁度、グラスファイバーからカーボンロッドに代わる頃で、私の興味はもっぱら最新マテリアルで作られた高性能な道具にあった
。だから、ロッドもリールもクラシックなタックルには殆ど興味も無かったし、また、それらに関する知識も持ち合わせてはいなかったので、
その当時、買おうとさえ思わなかったのは、今思えばとても残念だ。だが、当然の事ながら、私もアメリカで最新のフライロッドを数本買
っていた。ボストンのフライショップではフェンウィックの確か・・・・
ワールドクラスとか言う初期のグラファイトの#4ロッドを買った。そして
、マンハッタンの、あれは確かマジソン街のオーヴィスショップで、名前は忘れてしまったが、初期のオーヴィスのカーボンロッドを2本買っ
た。それと何処のショップかは忘れたが、G・ルーミスの初期のグラファイト、茶色のブランクで、後の黒い艶消しのハイモデュラスカーボ
ンでは無いやつも手に入れていた。それらはどれも当時の最先端のマテリアルで作られた高級ロッドだったが、今それらのロッドは全く
残っていない。何処に行ったのかも全く分からないが、確かオーヴィスは、私が昔フライフィッシングを教えた人にプレゼントしたような気
がする。セージやルーミスは、ハードに使い過ぎて、すぐに折ってしまったと思う。その頃の私と言えば、もっぱら大きな魚を沢山釣る事ば
かり考えていたし、フライタイイングやフライキャスティングなどのスキルアップにも夢中だった。だから、バンブーロッドなどのヴィンテージ
タックルに目が行く余裕などは全く無かった。だからあの時、ニューヨーク・オーヴィスでチラッと目にした、一番奥のガラスケースに偉そう
にディスプレイされていたバンブーロッドには全く興味は湧かなかったのも当然の事だった。ただ、プライスカードに書かれていた値段は
$1.000を軽く超えていたので、バンブーロッドは流石に高価だなあ!とその時思ったのは確かだ。当時は確か1$が200円〜250円だ
ったと思う。確かな記憶ではないが、そのショーケースのオーヴィスのバンブーロッドはブロンドカラー(ナチュラル)だったと思う。通常、オ
ーヴィスのバンブーロッドはインプリグネイテッドで、濃い茶色のシャフトであるが、そのブロンドシャフトのロッドはナチュラルケイン工法で
作られた特別なロッドだったのかも知れない。勿論、その当時は、後に自分がバンブーロッドを造る事になるとは夢にも思ってはいなかっ
た。ただ、ニューヨーク州キャッツキルが私の本格的フライフィッシングのスタートであったし、まさしくそこはドライフライフィッシングの聖地
であり、アメリカンフライフィッシング発祥の地である。そして、私がバンブーロッドを造り始めたのは、それから間もなくの事である。
Hexastyle special collection rod (Reference exhibit)Special Two-handed Rod 11'3" #10 1996製 (参考品) |
Episode 2 都会の釣り師 『 Urban Angler 』 アーバン・アングラーと読むが、意味は『 都会の釣り師 』の意味である。これはマンハッタ
ンにあったフライショップの名前で、いや今もあると思うが、ダウンタウンの、そうチャイナタウンの外れ、ウォルーストリートの近くにあった
。滞在していたのは、パーク・アヴェニューにあるウォルドルフ・アストリアだが、そこからタクシーでブルックリン・ブリッジまで行き、あとは、
歩いて探す事にした。アメリカ映画でよく見るニューヨークのチャイナ・タウンだが、実際に歩いてみると、何か不思議な感覚を覚える。通り
には多くの中国人達が屯し、飲食店の前の路上からは沢山の湯気が立ち昇っていた。まるで自分が映画のワンシーンの中にいる様な錯
覚に囚われる。そんな通りを抜けてウォール・ストリートに辿り着いたのだが、そこもまた映画のワンシーンの中だった。そう、ニューヨーク
のマンハッタン自体が映画の撮影所の巨大なセットのような世界なのだ。そして、目的のアーバンアングラーだが、US.Flyfishermanだった
かField &
Stream だったかは忘れたが、広告を見かけたので行ってみる事にした。当然、有名釣り雑誌に広告を出すぐらいなので、大き
くて立派なショップを想像していたのだが、実際の店は、小さな古い雑居ビルの2階に在り、広さも15坪程度の事務所を改造した様な小さ
な店舗だった。更には、外に看板も出ていなかったので、探すのにとても苦労したのを覚えている。当時、日本ではMetzのグリズリー#1
が1万円以上していたと記憶しているが、そこでは確か4〜5千円で買えたように思う。ところで、今は幾らするのだろう?昔、買い集めた
マテリアルが今も沢山残っているので暫く買ってはいない。更に、自分でフライを巻かなくなって15年以上は経つので、現在の価格は全く
判らなくなってしまった。
フライタイイングをしなくなった理由は幾つかあるが、その一つに、いつの間にか巻いている毛鉤が見え難くなっていた事がある。50代も
半ばを過ぎるとと、老眼鏡は必需品である。その上、もし20#以下のミッジでも巻こうとするならば、老眼鏡プラス巨大なルーペも必要に
なる。更に老眼の影響はフライタイイングだけに限った事では無い。フライフィッシングその物にも悪影響を与えた。プライムタイム!その
大物が狙える、フライフィッシングでは最も重要な時間帯に殆ど見えないのだ。つまり、イブニングライズが狙えなくなっていたのだ!それ
には流石の私も大きなショックを受けた。週に3日はイブニングライズを釣っていた私が、もう行けなくなってしまったのだ。昔は真っ暗で
フライが全く見えない時刻になっても、ライズの音で狙いを定め、ライズの音で合わせて釣っていた物だ。目を開いていても、瞑っても同じ
事なので、仲間内では『心眼の釣り』と呼んでいたが・・・。しかし、今は日中の明るい時でさえフライのアイにティペットを通すにも老眼鏡が
必要だし、ましてや薄暗い中でのフライチェンジやライントラブルは全く見えない。だから、トラブルを治して釣りを続ける事など以ての外だ
。結局、以前よりも2時間は早く撤退する羽目になったのは、私の釣り人生にとって実に悲しむべき事である。だが、それ程悲観する事も
無いだろう。今は無我夢中で釣っていた頃と違い、バンブーロッドでゆったりマイペースな釣りだ。昔のように血眼になって数を釣る必要も
無いし、無理してイブニングの大物を狙う必要も無いのだから、まぁ良しとしよう。そして、唯一の救いは、幸いにも近眼ではないので、今
でも眼鏡無しで遠くのライズが見える事だ。
話は戻るが、店舗の中のディスプレイは小ざっぱりとしていて、あまり多くの商品は陳列されていなかった。タイイングのマテリアルやライ
ン、リーダー、ティペットなどの消耗品は一応、取り揃えてはいたが、ロッドやリールなどのタックル類は日本の釣り具店とは違って、以外
に少なかったのには多少がっかりさせられた。アメリカ人は一部の熱狂的なコレクターを除けば、道具に対してあまり固執しないからだろ
う。ブランドには拘らないし、道具は使えれば何でも良いと言う人が意外に多い。ただし、マニアックなコレクターは日本のそれを寄せ付
けない程の偏執さと熱狂を持っているのは確かである。実の処フライフィッシングは向こうでも特別な釣りであり、一般的に釣りと言えば、
手軽なルアーフィッシングや餌釣りが多いのは日本と然程変わらない。事実、アメリカで釣りをしていても、やはり驚く事もある。あれは確
か、ビタールート・リバーでの事だったと記憶しているが、私が流れに立ち込んでライズを狙っていると、突然、目の前のライズの脇にチ
ャポン!と何かが飛んできた。何だ!と思い、飛んできた方向に目を向けると、小さな子供がルアーを投げて来たのだ。その場所は、川
原のすぐ傍が公園になっていて、家族連れがピクニックに来る様なポイントだったからだ。その時は、相手が子供だった事もあり、私もニ
コッ!と微笑みながらポイントを移動する事にした。しかし、ルアーによる攻撃はそれだけでは無い。かの有名なヘンリーズフォークでも
経験がある。ビッグ・ブラウンのイブニングライズを狙っていた時の事だが、大きなスプーンがジャボ〜ン!と音を立てて飛んできた。そ
の時は、流石にムカついたが、レギュレーションはフライ・オンリーではなく、ルアーもO.Kなのだろうと思い納得する事にした。しかし、日
本に居れば良くある事でも、アメリカのそれも世界的に有名なフライフィッシングのメッカでルアーが飛んでくるのは、やはり驚かされる。
まぁ、当時の私からすると、欧米では老若男女、釣り師の殆どがフライフィッシングを嗜み、全くとは言わないがルアーや餌釣りは無い
物と思っていたからだ。しかし、現実は日本で想像するほど釣り文化が進んでいる訳では無く、NO KILL AREA や Catch & Release
only
は意外に少ない。それでも、日本よりは遥かに多く、フライフィッシング天国である事は確かだ。
また話が飛んでしまったが、店内は少ないタックルの他は写真やポスターが所狭しと貼られていたのを覚えている。それらは、アメリカ国
内、カナダ、アラスカの他、ヨーロッパや南米への釣りツアーの案内だった。更には、キングサーモンやアトランティックサーモンを抱えた
写真、巨大なターポンやセイルフィッシュを抱えた写真もあった。ニューヨークと言う大都会、そのダウンタウンにあるフライショップだ。釣
り具を買い揃える言うよりは、ウォールストリートのお偉いさんや、近くの社長連中がフィッシングツアーの手配をしてもらうのが多いのだ
ろう。現に私が行った時も、スーツを着た紳士が2〜3人居たような気がする。まあ、日本で言うフライフィッシングは旦那衆の遊び、と言
うやつだろう。店員のお兄さん達はとても気さくで、何回か行く内に親しく話し掛けてくるようになった。日本人かい?日本にもフライフィッ
シャーは居るの?トラウトやサーモンは居るの?などと興味有り気に聞いて来た。当時のアーバンアングラーではカタログ販売もしてい
て、日本では未発売の最新のタックルが色々あったので、後に日本から頼んで直接送ってもらう事となった。当時は、私も英語を結構
話せたが、今は全く話す機会も無くなり、殆ど忘れてしまった。ただし、面白い物で、酔っぱらうと普段は忘れている言葉も意外にすらす
らと出て来る物だ。特に釣りの話だけは酔うとペラペラになる。しかし、次の朝には話した内容を殆ど忘れ、覚えていないのをいつも残
念に思う。こうして、私の昔の釣り体験や色々な釣りの事をWEBで書こうと思ったのだが、文章を書くのが下手な私にとってはとても時
間の掛かる作業だ。その理由は簡単だ。今でも日本語の文法と英語の文法が頭の中でごちゃごちゃになってしまうからだろう。普段は
英語のWEBサイトばかり見ているので、英文を訳す事が多く、翻訳ソフトなども使っていると、余計に日本語の文法が変になる。時折、
頭の中で英単語が先に浮かび、それを日本語に直して考える事もある。だから、こうして文章を書きながらも、主語や述語、形容詞な
どの位置がおかしくなり、アレッ!正しい日本語の記述はどうだっけ?と考え込んでしまう事も多い。意味は伝わるが、適切な言い回し
が思い浮かばずに、普段から正しい日本語を使っている人には、非常に読み難い文章になっているだろう。日本語の文法で言う、倒
置法の様になってしまう事も多い。だから、なるべく文章を推敲してはいるが、この際、読み難いのはお許し頂いて、楽しんでもらえれ
ばと思う次第です。
一般に普及する以前のフライフィッシングのスタイルやステータス。それは現在でもフライフィッシング発祥の地、アメリカ東部に近づく
程、顕著になって行く。アメリカ西部では、フライフィッシングはかなり大衆の釣りとして認知されてはいるが、やはり、東部ではそうでも
無い。昔の歴史や伝統が重んじられているせいか、敷居が高い様である。フライフィッシングをする、或いはバンブーロッドを使ってい
る事だけで、釣り具店では尊敬の念を持って接して来る。やはり、バンブーロッドは本国アメリカでもステータスシンボルなのだ。ニュー
ヨークのマンハッタンオーヴィスに行くと、未だに釣り道具よりもジャケット(背広)やスーツ、靴や鞄などのウェアー類の方が充実してい
る。釣り具はと言うと高級ブティックの様な店の2階にひっそりと数本のフライのタックルが置かれているだけだ。それは、フライフィッシ
ングが上流階級の遊びだった頃の名残りだと思う。釣り具店と言うよりは、どちらかと言うとトータルなライフスタイルやファッションを提
案している様にさえ思える。だから、日本からオーヴィスショップ(釣具店)に行くのだと張り切って行くと、かなり期待を裏切られるかも
知れない。事実、アメリカでもフライフィッシャーは他の釣りをする人々とは違う、ワンランク上の扱いを受けているし、ショップもそうだ。
餌釣りやルアー釣りの道具は、通常フライショップでは無く、ホームセンターや一般のスポーツ店で売られている。それもピストルやラ
イフル、ボーガンなどと一緒にだ。そして、フライショップはと言うと、フライフィッシングの道具や洒落たウェアー、そして、小物などを多
く扱っていて、ショップの店員も何処となくエラそうにしている。それは日本も同じか!多分、ヨーロッパも!恐らく世界共通だろう。フラ
イショップに集まるお客達も、自分たちがやっている事は難しくて、技術の習得には長い時間を要する特別な釣りをマスターしているの
だと言わんばかりの態度と顔つきをしている。これもまた日本も同じか・・・・!フライフィッシングをやっているからと言って雰囲気まで
真似る必要は無いと思うのだが。いや、それは長い年月を掛けて難しい技術を一生懸命習得して来たと言うフライフィッシャーのプラ
イドが、人種を越えてそうさせてしまうのかも知れない。そしてそれは、田舎のフライショップほど顕著の様な気もする。逆に、都会のフ
ライフィッシャーの方がスマートで、自然に振舞っている様にさえ見える。そうだ、私も田舎者だからそう感じるのかも知れない。俺たち
はフライフィッシングをやっている、難しいキャスティングを習得した、面倒な毛鉤が作れる、それらの優越感と自己満足が釣り師をそ
の気にさせてしまうのだろう。フライフィッシングの難しさと奥深さが世界中のフライフィッシャーをそうさせてしまうのは仕方の無い事な
のかも知れない。しかし、できれば都会の釣り師の様に、何気ないそぶりでスマートに行きたい物だ。面倒な釣法の為、敷居が高いの
は確かだが、釣り人の誰もが多少は興味を持っているのだからフライショップは誰でも気軽に入れる方が良いと思う。一見さんが店に
来ると、店主では無くそこに屯している常連さん達が入って来た客を見つめる。まるで、その見知らぬ客の技量を見抜こうとするかの
様な視線でだ。アメリカでさえそうなのだから、仕方が無いと言えばそれまでだが、そろそろ日本のフライフィッシングも成熟してもいい
頃だ。一番難しいフライキャスティングだって特別な事ではないし、練習すれば誰にでも出来る事だ。世界チャンピオンレベルでも無け
れば五十歩百歩だろう。実釣で使うキャスティング程度ならば尚更だ。特別、自慢する程の事では無いし、尊敬に値する程の事も無い
。まして、他の釣りを見下すなど、以ての外だ。偶々、フライフィッシングを知っただけではないか!もし、フライフィッシングが崇高な遊
びだと思うなら、未経験の人を優しくこの世界に導けば良い。皆がキャッチ&リリースを啓蒙されたようにだ。バンブーロッド?それとて
大した物では無い。それは、フライフィッシングのごく一部分でしか無いからだ。フライフィッシング?それも釣りの1つのジャンルでしか
無い。だから、人に聞かれても、フライフィッシングですか?趣味でチョットやってます!ぐらいの謙遜で行こう!本当は寝ても覚めても
フライの事ばかり考えていてもだ!それが、『 Urban Angler 』である。
そう言えば、昔、ハンティングバッグで一世を風靡したブランドHunting Worldの姉妹ブランドで、今はもう無くなってしまったが「Angler's
World」と言うブランドがあった。ハンティングワールドと同じ丸いマークで、中には象の代わりにトラウトの画、周りのロゴはアングラー
ズワールドとなっていて、釣り師の心を擽る恰好の良いデザインだったのを覚えている。私もニューヨークの町をAngler's WorldのTシ
ャツを着て歩いた記憶もあるが、現物がもう無いので今は幻となってしまった。だが、もしかすると押入れの奥か何処かにあるかも知
れないので、いつか探してみる事にしよう。現在WEBで調べても、アングラーズワールドの商品が売られていないのは残念だ。ブランド
の話と言えば他にもある、或る日、父の服を片付けていた時の事だが、あまりセンスが良いとは言えない古いチェック柄のネルシャツ
を見つけた。何気なく襟のタグを見ると、何とアバクロンビー&フィッチと大きく書かれているではないか。アバクロンビー&フィッチ?
何処かで聞いた事のある名前だ!少し考えたが思い出した。そう!ペイン98のエンドキャップだ!確かアバクロンビー&フィッチはオ
ーヴィスと同じく、ニューヨークにあったアウトドアスポーツのショップの名前だ!昔、ペインロッドの販売代理店をしていたのは有名な
話だ。しかし何故、うちの爺さんがアバクロンビー&フィッチのシャツを着ているのだ?それもかなり昔の物である。いったい何処で手
に入れたのだろうか?と考えてはみたが、その時は思い付かなかった。そして、最近知ったある事を思い出した。恥ずかしいので、大
声では言えないが、今、日本国内にもアバクロンビー&フィッチのショップが有り、そのウェアーが若者の間で流行っているらしい!と
の事だ。そう言えば、時々、町で見かける胸に大きなA&Fのロゴ、あれがアバクロンビー&フィッチ、ブランドなのか?更に若者達は
、それをアバクロと縮めて言うらしい。ニューヨークにあったアウトドアースポーツショップ、アバクロンビー&フィッチはかなり昔に無くな
ってしまったのだが、またファッション界でブランド名だけが復活したのだろう。残念な事だが、今は釣り具やスポーツ用品は全く扱って
いない様だ。それで、親爺の着ていたシャツの事だが、恐らく私が昔ニューヨークで買って着ていた物を持ち帰り、それを親爺が勝手
に着ていたのだろう。恐らくと言ったのは、私にも買った記憶が全く無いからだ。そして、何十年もその存在を忘れていたが、今度は私
がそのアバクロンビー&フィッチの古いシャツを着て、アバクロンビー&フィッチのペインを持って釣りにでも出かけてみようと思う。ロッ
ドもウェアーも『Urban
Angler』 だが、中身は田舎者の私なのがチョット残念だ。ただ、私はアバクロとは言わない。私のペインもシャツ
もそんな安っぽい物では無い!あくまで私が所有しているのは、短縮形のアバクロでは無く、元祖アバクロンビー&フィッチだ!そう、
オーヴィスと並ぶアウトドアスポーツの伝統、フライフィッシングの伝説、「アバクロンビー&フィッチ」なのだ!と自分に言い聞かせ、納
得する今日この頃である。
残念なブランドの話は他にもある。ニュージーランドの高級アウトドアーブランド「Rodd & Gunn」もその1つだ。20年以上前にニュージ
ーランドで見つけたブランドだが、トラディショナルな英国調のウェアーの他、フライフィッシングに関するアクセサリーも各種用意されて
いた。そして、それらのフライフィッシング・グッズは格調高いウェアー類以上に恰好の良い物ばかりだった。ニュージーランド国内に数
店あるショップは、イギリス本国を思わせる格調高い雰囲気の内装で、薄暗い店内にはスポットライトに照らされたヴィンテージロッドが
ショーケースに飾られていた。そして、フライフィッシングのアクセサリー類はとても充実していて、フライフィッシャーなら誰もが欲しがる
様な物ばかりだった。そこではロッドとリール以外なら何でも揃う。革張りのロッドケース、ムートンのリールケース、木製のフライケース
、伝統的なオイルドコットンのフィッシングベストやフィッシングジャケット。バッグ類、ハットにキャップにグローブなどなど。果ては恰好の
良いランディングネットまで。それらは少々高価ではあったが、全てハンドメイドの特注品なので仕方が無いだろう。私はそれらロッド&
ガンのクオリティの高いアクセサリーが大好きで、ウェアー類を含め、ニュージーランド釣行の度に持ち帰った。そして、日本からも数年
間は直接取り寄せていた。当時はまだWEBが無かったので、カタログを日本に送ってもらい、FAXで注文していたのだが、今はWEBも
浸透し、ロッド&ガンのウェブページもある。ただ、残念な事に今はウェアー類の販売だけで、フライフィッシング関連のアクセサリーは
扱っていない。10年以上前に販売が中止されたので、今はもう手に入れる事が出来ないが、私の手元には当時入手した物が十数点
残っている。そして、それらを見ると当時の事が懐かしく思い出されので、あらためて残念にも思える。また何時か、犬のマークのフライ
フィッシング・アクセサリーが復活する事を願う次第である。
Episode 3 Memories ニューヨークやマサチューセッツ、ニュージャージーにバーモント、コロラド、ワイオミング、アイダホ、モンタナ、
ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、アリゾナにニューメキシコ・・・・アメリカを沢山釣り歩いた。日本では体験できない、アメリカ大
陸の伝説、スプリングクリークでのスーパーハッチ、メイフライやカディスが数万匹も乱舞する川、勿論、そんな所で釣りをするのが
夢だった。永い間、日本で培った技術が果たして通用するのだろうか?そんな思いを持ちながらの挑戦だった。そう言えば大きな鱒
を釣りたくて、ニュージーランドにも数回行った。そして大きな鱒も沢山釣って目的は果たして来た。只々、大物を釣りたくて野山を駆
け巡っていた頃、魚の写真は殆ど撮らなかった。写真を撮る暇があったらキャストし、鱒を釣っていた。 だから実のところ、私が釣り
をしている写真や大物を抱えている写真はほんの数枚を数えるしか残っていない。しかし、今思えば写真を撮らずに釣りに集中して
いて良かったと思う。後悔はしていない。何故なら、私の釣りの記憶の中に残っているのは、川の流れや湖、周囲の山々、森の木々
や田舎の街並み、泊った宿や釣り場への道など、魚以外の景色ばかりだからだ。つまり、私にとって重要な事はトロフィートラウトを
釣る事よりも、周りのシチュエーションを楽しむ事の方がより心に残る重要なポイントだったと思う。大きな魚とのファイト、マッチング
ザハッチの手強い鱒を釣るのが面白いフライフィッシングと言う遊びだが、何故か私にとってのフライフィッシングは、自然の中に溶
け込む自分が居る光景だったような気がする。 つまり、重要なのは鱒の大きさでは無かったのだ。イエローストーンの巨大鱒も、自
宅近くのダムに棲むワイルドブラウンも写真の中では然程変わらない。どちらも60p以上ある。大きな鱒が釣りたければ、北海道で
も頑張れば何とかなる。下手をすれば北海道のワイルドの方が太くて、力強い事さえある。しかし、海外釣行で得る事が出来る満足
感は、それとは明らかに違った。北海道の岩魚よりも小さい30p程の虹鱒でも、シルバークリークのそれは明らかに感動的だった。
ヘンリーズフォークのブルックトラウトもそうだ。チョット手強いが、グリーンドレイクのスーパーハッチの中から引きずり出した小物は、
大物以上の感動と喜びを私に与えてくれた。
国内でも海外でも、私は川面に立つと、まず水面を見て水の流れを読み、魚のいるポイントやライザーを探す。(ティムはライズして
いる魚をライザーと呼んでいた) そして、魚の存在を確認すると、次にする事はそのライザーに向って、すぐにフライをキャストする
事では無い。いつも此処で一呼吸置いてしまうのだ。そのまま水面から上方に目線を移し、空や雲、周りの山々を見る。そして、川
原の木々や植物、花などを見てしまう。それは、釣りをしながらその地のロケーション、雰囲気、季節感を楽しんでいたのだと思う。
そして、それらが一通り終わってから、改めてライズを確認し、おもむろにキャストし始めるのが私のスタイルだった。今、振り返ると
、私がずっと追いかけていた物とは、大きな鱒でも手強い鱒でも無かったような気がする。恐らく、フライフィッシングに関わる周りの
環境、季節や天候、気温、風、昆虫の事などを考えながら自然の中に溶け込んで行く事を望んでいたのだと思う。自然に溶け込む
と言えば、色々思い出されるが、その一つに「ツバメと友達になった」事を思い出す。友達と言っても、それは私が勝手に彼らを利
用しているだけで、ツバメは私の存在を何とも思っていない。いつ頃の事だったか忘れてしまったが、それは、自宅近くの小さな川
での出来事だった。毎年、シーズンのスタートはその流れから始まるが、5月のコカゲロウと6月のマイクロカディスで新作ロッドの
テストを行うのが通例となっていた。その日も自宅から車で15分程の所にあるその小川には昼過ぎ頃に着いた。いつも通り、素早
く支度を整えて水面をチェックしたのだが、その日のプールは鏡の様に穏やかだった。暫く観察していたがメイフライのハッチもライ
ズも全く見当たらない。5月初めのそのポイントには、30p前後の岩魚が2〜3匹と、山女魚が数匹入っているのは、過去の経験
から判っていた。しかし、いつもライズを釣るのが楽しい場所なので、その日も無理にニンフを使ってブラインド・フィッシングをする
気にはなれなかった。風も無く、天気の良い午後だったので、土手に腰掛け20〜30分も川を見ていただろうか?ふと空を見上げ
ると、突然、一羽の小さな黒い鳥が勢い良く上空を飛んで行った。おぉ!燕か!と思っていると、更にもう一羽が現われ、2羽になっ
た。そして、気が付くと3羽、4羽、5羽と増えて行き、最終的には6〜7羽になったと思う。暫く経っても、彼らは何処へ行く訳でも無
く、私のいるプールの上空を行ったり来たりしているだけだった。そして、初めは20m程上空を行き交っていた彼らだが、徐々に高
度を下げながら水面から3〜4mの所まで来た時の事だった。突然、一羽が急激な動きを見せたのだ。そう、俗に言う「燕返し」だ。
すると、仲間も皆、急激なターンを見せ始め、遂にはグチャグチャに入り乱れて必殺技の燕返しを繰り出していた。あのスピードで
ぶつからないのは凄技だと思いながら見ていたが、何を食べているのか確認しようと一羽の燕返しに目を凝らすと、何と、小さなカ
ゲロウ?小さすぎて良く見えなかったが、エッ!と思いながらよくよく見渡すと、小さなメイフライがフワフワ飛んでいた。そして、急い
で水面に目をやると、何と、間髪置かずにライズだ!始まった!私も急いで土手を降り、ライズに向かって「燕返し」だ!そして、そ
の後の一時間はとても楽しい時間を過ごせたのは言うまでも無い。彼らは知っていたのだ。もうすぐメイフライがハッチする事を・・・
。私は彼らに感謝した。燕君有難う。もし、彼らが現われなかったら、恐らく、私は先に帰っていただろう。あの静かな水面がこうな
る事を予測できる筈もなかったからだ。それからと言う物、その場所に行くと、必ず彼らを探してしまう。水面よりも先に空を見上げ
てしまう。そして、彼らが現われなければ、竿を出さずに帰る事さえあった。鱒の事は虫に聞け!虫の事は鳥に聞け!
私が本当に好きだったのは、フライフィッシイング独特の釣りのスタイルであり、自然との繋がりだ。いつの間にか釣った魚の数や
大きさではなくなっている事にも気付いた。つまり、ゆったりとした時間の流れとそのシチュエーションを楽しむ事。そうフライフィッシ
ングは自分自身がが自然の中に潜り込む為の理由の一つに過ぎないのかも知れない。
例えば、イエローストーンでは、広い草原で草を食べているバッファローや急斜面を駈け上がるブラックベアーを見て楽しんだ。ファ
イアーホール・リバーでは美しい景色に見惚れていた。7月のロッキー山脈越えでは、山の頂上に在る湖に釣りに行ったのだが、美
しい残雪を見ただけで、その湖でキャストする事は無かった。釣りの旅ではあるのだが、敢えて釣りをしなかった場面がたくさん思
い出される。釣り師としては、とても贅沢な事だが、景色とそこに起こるライズを見るだけで十分楽しめたのだ。更に、ロッドを持って
い無い時は、キャストするポイントをイメージの中でシュミレーションする。あのライズの30p上流に一発でフライ入れる。そして、3
秒流下してライズの場所に来た瞬間、魚がフライを咥える。これで、イメージフィッシングの完了だ。30pと3秒は一般的なプレゼン
テーションよりも短いと思うかも知れないが、実は、これがフライフィッシングの極意の一つだ。ターゲットフィッシュに選択時間を与
えない。つまり、喰うか、喰わないか選択する余地を与えないと言う釣り方だ。フィーディングレーンを流すと言う考え方では無く、フ
ィーディングポイントに直接入れると言う考え方である。魚が流れの中で餌を取るタイミングは非常に短いので、彼らは限られた時
間内に食べるか食べ無いかを決断しなければならない。それを利用して捕食点(フィーディングポイント)ぎりぎりにフライを落とす事
によって、すぐに捕食行動に移らせるのである。魚に喰うか喰わないかを選ばせるのでは無く、今直ぐに食べなければ餌は流れて
行ってしまう状況を作り、反射的に捕食行動に移らせるのである。更には、魚がフライを咥えるポイント(点)が分かっているのだか
ら、咥えるのを目で確認してから合わせるのでは無く、咥えるだろうポイントで既にロッドを立て始め、こちらが先に合わせの行動
に入るのである。即ち、魚がフライを咥えたと同時にフッキングする非常にタイトな釣りだ。私が大好きなこの釣り方は、テンション
が伝わるタイムラグを排除しなければならないので、ショートリーダー、ショートティッペットのシステムが適している。そして、ターゲ
ットポイントを直径10pの円に想定した精度の高いキャスティング技術とアキュラシーが要求されるのでとても楽しい釣りである。そ
れと、私のもう一つの極意も紹介しよう。それは、魚がドライフライを咥えてから3〜5秒後に水中で合わせる、超遅合わせの釣りだ
。完全に昆虫だと思い込んでいれば魚は咥えたフライを離さない。水面で咥えたフライを元々定位していた川底まで持って帰り、川
底でゆっくり呑み込む習性を利用する合わせ方だ。つまり、フライを咥えた魚が川底に戻ったのを確認してから、せぇ〜の!と言わ
んばかりに、ゆっくりと合わせをくれてやる。完全に昆虫を捕食したと思い込んでいる魚が、合わせた瞬間にビックリして逃げ出す様
は、してやったりと言う感じで、これもまた楽しい釣り方だ。ただし、これを実現する為には、完全に信じ込ませるフライの完成度とパ
ーフェクトなプ
レゼンテーションが不可欠ではある。
話は戻るが、客観的に見れば、周囲の景色や川の流れ、そこに起こるライズリングを土手から眺めているだけで満足している自分
がいた。だから、今でもアメリカの川や山々の素晴らしい景色は、すぐにでも手に取るようにフルカラーで蘇る、しかし、これまで釣り
上げてきたトロフィーサイズの鱒達の事を記憶の中から引っ張り出すには、少し時間が掛かるのだ。完全に消えてしまった記憶も少
なく無いだろう。
ティム社長自らのガイドでサンワンリバーを釣った。レインボートラウトは噂通りの大きさだ。ティムからは釣り雑誌でも見た事の無い
、流れの速い強いリフルを釣る特別なニンフィング・テクニックを教わった。それは、常識的なフライフィッシングの域ではなかった。
凄い流れの瀬で、深さは腰以上もある、とても立ち込む事など出来ない場所で釣るのだ。ティムは私のウェーダーの腰のベルトを
掴み、僕が掴んでいるからお前はそこの沈み石の上からニンフを下流に流せと言った。恐る恐る、私は強烈な流れに腰まで浸か
り、ティムが岩の上から私のベルトを引っ張っている恰好だ。ティムが手を離さない事を祈りながら、その特別な釣りは始まった。流
れが速いので、ティペットには大きなスプリットショットを噛ませ、黒くてデカい10番フックに巻いたストーンフライニンフを付けた。更
にサンワンワームのドロッパーも付けて、止めは巨大なマーカーをリーダーに付ける。マーカーは蛍光ピンクのポリヤーンを一つま
み、一つまみと言ってもかなりの量で、2つ折りにしてリーダーに付けると直径3〜4pくらいの花が咲いたような特大のマーカーだ。
リフルの大きな白波の中でも見失わない様な視認性と、ニンフを流れに乗せる為の浮力を持たせるのが目的だ。そんな、ごついシ
ステムでの釣りだ。そして、フリッピングでラインを10ヤードぐらい出すと、直ぐにマーカーが強い流れの中でピタリと止まった。ティ
ムは、すかさずストライクと叫んだ。びっくりして合わせると、お約束のデカいレインボーが掛かっている。大きな鱒と、強い流れでリ
ールはいきなり唸りを上げて逆回転する。とても、ロッドとリールで奔りを止めるなどと言う状況では無い。ティムは私のベルトを引
っ張り上げて水から出すと、今度は鱒を追って2人で下流に走る。既にバッキングラインも殆ど出ていて、早くリフルを抜けて下のプ
ールまで行かなければラインかロッドがブレイクする。その鱒を取り敢えず何とかキャッチして、すぐに次だ。50mはあるリフルを何
度も往復する。それも、掛けた魚の数だけ走った。そして、ティムが一言、デカイ奴はこんな場所にいるんだ!この釣法は別の機
会にも火を噴いた。それは、マジソン・リバーでの事である。そのシーズンは、丁度、雪が多かったらしく、夏だと言うのに川はいつ
もより雪代で増水していた。見付けた魚もドライフライには全く反応しない。仕方が無いので、例のシステムで釣る事にしのだが、予
想を上回る釣果だった。楽しい釣りでは無いが、いざと言う時の必殺技として押さえておけばボウズは免れる事ができるだろう。
そして数年後、そんな釣り方を日本で実践するチャンスがあったが、同行していた仲間達が皆びっくりしたのは言うまでも無い。実
は、このハードな早瀬の釣りを、私は何年も前から模索していた。北海道の川でもワイルドレインボーのデカいやつは、水深のある
早瀬に潜んでいる事は以前から判っていた。それは、鮎釣りをしていて、掛かった鮎に大きなレインボーが喰い付き、鮎の仕掛け
ごと持って行かれた、と言う話を鮎釣り師から何度も聞いていたからだ。しかし、深い早瀬に潜む鱒を狙うのは難しい。流れが速す
ぎてルアーなども水面に浮いてしまう。勿論、ウェットフライやストリーマーのダウンストリームもメンディング程度ではフライを沈め
る事は出来ないし、フライが速く流れ過ぎる。この様なポイントで力を発揮するのがティムのごついニンフシステムだった。そう言え
ば、カナダ辺りのスティールヘッディングで、ウェイテッドのストリーマーをアップストリームにキャストして沈め、ニンフの様に釣る方
法もある。それも、水量のある速い流れでの釣法だが、ダウンクロスでロングキャストし、ゆっくりとプールを流す釣りほど恰好良く
は無いが、早く重い流れでは有効なテクニックである。
話は変わるがティムのお祖父さんはボクシングの元世界チャンピオンだ。何とかチャベスと言う名前だが忘れてしまった。或る日の
釣りの終わりに、ティムが今夜パーティがあるから来ないかと言った。何のパーティーか尋ねるとお父さんの誕生パーティーだそう
だ。そう、お父さんはチャンピオンの方では無く、エイブズ・フライショップを始めた創業者エイブの方だ。旨い御馳走が沢山あるか
ら来いよ!と言うので甘える事にした。
連日の釣りで疲れてはいたが、折角のお誘いだったし、興味が無い訳では無かったのでお
邪魔
する事にした。だが待てよ!突然、見知らぬよそ者がファミリーの誕生パーティーに行っても良いものか?それも手ブラで!少
し考えて名案が浮かんだ。その釣行に持って行った私のロッドケースには、直前に行ったニュージーランド釣行の際に買った革製の
豪華なネームタグが付いていたのだ。そうだ、これをお祖父さんへのプレゼントにしよう!と思いつき、早速、私の名前が書かれた
紙を抜いて新しい紙袋に入れ、プレゼントが出来上がった。新品では無いが全く汚れていなかったので、少しは恰好がついた。ティ
ムの実家に着くと家の前には既に車が沢山止まっていて、なにやら親戚なども大勢来ているようだった。少し緊張しながら家に入る
と、ティムが皆に紹介してくれた。私のあまり上手くは無い英語でも何とか皆と打ち解ける事ができた。居間の奥には、チャンピオン
ベルトを誇らしげに締めて、ファイティングポーズをとっているお祖父さんの実物大の写真が飾ってあった。そして、大きなテーブルに
はメキシコ料理が山ほど並んでいて、皆が代わる代わる勧めてくれた。緊張していたのか、味の方は殆ど覚えていないが、腹いっぱ
い飲み食いした事だけは覚えている。この経験もまた、忘れられない思い出の一つになった。味を覚えていないと言えばもう一つあ
る。それはティムが釣りのランチに出してくれた、エルク・バーガーだ。ムース・バーガーだったかエルク・バーガーだったか忘れたが
、早い話が大きな鹿の肉で作ったハンバーガーだ。そう、あのエルクヘアーカディスのエルクの肉だ。ティムが自分で獲ったエルク、
それも、銃では無くボウガンで獲ったと言っていた。そして、釣行のランチタイム。河原にセッティングしたキャンプサイトで、その巨
大な鹿バーガーは焼かれ、私達のランチとなった。
ついでに食べ物の話をもう1つ。今でもまだ在るのだろうか、確かウエスト・イエローストーンの小さな中華料理屋のお話だ。日本を
出てから何日目だったろうか?2週間か3週間か?かなり経っていたとは思う。永い釣行中の或る日、ウエスト・イエローストーンの
町に立ち寄った。数件のフライショップに立ち寄った後に腹ごしらえをしようと言う事になり、何を食べるか相談していると、相棒が
突然、ラーメンが喰いたいなぁ!と言い出した。ところでアメリカの小さな田舎町にラーメン屋なんて在るのだろうか?ニューヨーク
やロサンゼルスならまだしも。そして、中華料理店なら在るかも知れないから探そう!と言う事になり、車で町中を20〜30分走り廻
って、チャイニーズレストランの看板を見つけた。ヤッタ!多分ラーメンがあるよ!と言いながら店に入った。その店は中国人がや
っている様で、中は明るく小奇麗な店だった。カウンターの中には店主らしき親爺を含め3人の中国人が居た。壁のメニューは全て
英語だったが、その中にはラーメンとかヌードルの文字は見当たらない。更に捜していると『 Romen 』
の文字が目に入った。ローメ
ン?何だそれは!と言いながら、私たちは店主に尋ねた。What's Romen ?That's Ramen ? No ! Romen.
Ramen? No ! Romen. 同
じやり取りが何回か続いたが、私達は恐らくラーメンの事だよ、と言いながら『 Romen 』をオーダーした。暫くたって出て来たのは、
炒めた野菜がタップリ乗った、日本で言う処のタンメンだった。ヤッタ!ラーメンだ!言いながら、箸で麺をすくい、一気に口に運ん
だ。
エッ!何んだ?口に入れる前から少し太いと感じていたその麺は、何と!スパゲッティーではないか!そして、店主にこれはス
パゲッティーか?と聞くと、No ! Romen. との答えが帰ってきた。コリャだめだ!と思いながらも、スープは美味しい中華スープだった
ので何とか完食したのだが、日本で言う、スープスパゲッティーだ。そうだよなっ!考えてみれば、アメリカの山奥の小さな町に日本
と同じラーメンの麺など有る訳が無い!長期保存と輸送が可能な乾麺のパスタを使った方が合理的なのは確かだ、と言うのが我々
の出した結論だった。しかし、ラーメンとは程遠い、不思議な食べ物でだった。
実は、あの9・11テロの10日後にワイオミング辺りを2週間ほど釣り歩く日程を組んでいた。しかし、釣行の10日前にあの事件が起き
てしまったのだ。当然、ワイオミング釣行は中止を余儀なくされ、それ以来、私も海外釣行とは縁遠くなってしまった。しかし、私の行
った過去の海外釣行には何かと素敵な経験が付いて回った。いつも釣りだけの予定で行くのだが、何故か釣り以外の面白い体験や
誘いが必ずオマケとして付いて来た。次はいつになるか分からないが、多分、次の釣行でもまた楽しい経験が出来るだろうと思って
いる。ただ
、釣りに行っているだけなのだが・・・・。そう言えば、今は釣りにカメラを持って行かない。それは、先に書いた様に、全て
を自分の記憶の中にだけ留めようと思うのと、釣り上げた魚に負担を掛けずに、即リリースしたいからだ。ただ、もう一度だけカメラを
持って行きたい釣りが一つだけある。それは、私の釣りの最終目標でもある。いつの事になるかは分からないが、コスタリカか何処か
に『セイルフィッシュ』を釣りに行く時だ。勿論、フライで釣るのだが、それ用のバンブーロッドは造らない。カーボン製のカジキ用フライ
ロッドと、巨大なリールは既に持っている。ただ、今まで出番が無かったので、当然、それらは未使用で、ラインすら巻いていないのだ
が。ただ、その最後の一枚の写真が早く撮れる事を待ち望んでいる自分がいる。
Special 8'00" 3pc #6 1995製 参考品(Reference exhibit) |
Episode 4 マシンガンとリボルバーとタキシード コロラドの川で釣りをしていた或る日の時の事だが、優に60pは超えているだろう大
きなニジマスのライズを見つけた。しかし、その時私の手に握られていたのはH,L
Leonardの39ACM、そう、バンブーロッドであった。その
日は、川の規模から言って、せいぜい40p前後が出れば良いだろうと言う予測の元、それに合うだろうバンブーロッドと5番ラインをセット
していた。一瞬、頭の中を真っ二つに折れた無残なレナードの姿が過ぎり、どうするか迷ったのだが、みすみす目の前の大物を見過ごす
訳にはいか無いので、もしかしたら折られるかも知れない事を覚悟して、その大きな鱒にフライをキャストした。いつもの日本の川ならば、
バンブ−ロッドは20〜30pの岩魚や山女のために使っている。だから、巨大な鱒にバンブーロッドで挑むことは無かった。恐らく、この対
戦が日本だったらパスしていたか、或いはカーボンロッドをセットし直していたかもしれない。しかし、此処で対戦に踏み切ったのには理由
があった。それは、私自身の中に予てから持ち続けていた疑問、バンブーロッドは果たしてどのぐらいの鱒に耐えられるのか?、と言う物
だった。実験的にロッドを曲げて、竹の強度を調べる作業は簡単である。しかし、実戦で限界を知るのは、やはり勇気が要る事であり、そ
のチャンスも中々巡ってくる物では無い。況してや、自分の造ったテストロッドでは無く、レナードのロッドだ。銘竿と呼ばれる竿が実戦でど
れどけの能力を発揮するかを知る絶好の機会だった。だから、この機を逃してはならないと思い覚悟を決めてトライしたのだ。幸いにも、そ
の大きな鱒をフッキングし、無事キャッチこそ出来たものの、魚をリリースした後には大物を釣った時の興奮も、喜びも、魚の引きさえも記
憶には残らなかった。恐らくそれは、ファイト中に高価で大切なロッドが折れはしないだろうかと気が気では無かったからだと思う。せっかく
の大鱒とのやりとりだ、魚とのファイトにもっと集中し、楽しい時間を過ごせたかと思うとなんだか残念で仕方がない。もったいないと言うか
、何と言うか・・・・。それ以来、大物釣りにはグラファイトを使っている。無理矢理バンブーロッドで挑む事はし無い。使うロッドはケースバイ
ケース、適材適所で選べば良い。それに、たまにはグラファイトを振るのも良いものだ。その小気味よいラインスピード、ピンポイントに正確
にフライを打ち込めるテンポの良い釣りに気持ち良ささえ感じる事もある。差し詰めマシンガンとリボルバーと言うところだろう。勿論、カーボ
ンロッドがマシンガンでバンブーロッドがリボルバーだ。やはり、スピーディーに攻撃的な釣りをするなら最新のタックルに軍配が上がる。そ
して、時にはカーボンロッドを振る事もバンブーロッドの良さを再認識させる事になるのも付け加えておこう。
当然、バンブーロッドが好きだから造っているのだけれど、それは、性能と言うよりも、寧ろその美しさが好きで取り組んでいる部分が多い
。特に、ヴィンテージ・バンブーロッドには何とも言えない魅力が有り、フライフィッシングの歴史やその重みさえ感じる。やはり其処には、私
の中にあるキャッツキルの景色や思い出が占める部分が大きく、バンブーロッドを見ていて思い浮かぶ景色はアメリカ西部の有名河川や、
その雄大な景色では無い。勿論、北海道の川や景色でも無い。目に浮かぶのは、アメリカ東部の緩やかな小さな流れと、その源流に生息す
るネイティブのブルックトラウトである。私の最も好きなバンブーロッドは7フィートの4番ラインロッドだが、それは、そこに棲む10インチ前後
のブルックトラウトを釣る為に作られた物である。その鱒達は北海道で言う処の25pの源流岩魚にも通じるが、そこが唯一、私の中での共
通点なのかも知れ無い。バンブーフライロッドが持つ美しさ、例えば、ニッケルシルバーのハードウェアーやメノウのガイドなどの美しいパー
ツ類は、見た目を良くする為の装飾では無い。それらは、耐摩耗性や適度な柔軟性、耐久性など、釣り竿としての性能的を追求して来た結
果であり、バンブーロッドはまさに機能美の塊りなのだ。ガラスの様に光り輝くシャフトのバーニシュと貴金属の様なニッケルシルバーフェル
ールの調和がもたらす美しさは、先人たちの飽くなき探究と努力が完成させた素晴らしい釣り道具としての美しさなのである。今となっては、
既に過去の遺物なのかも知れないが、フライフィッシングの世界だけでも永遠に残ってもらいたい特別な道具がバンブーロッドだと思ってい
る。だからと言って、バンブーロッドの利点や優位性を無理に叫ぼうとは思わないし、強度や、耐久性を含め、劣っている部分は素直に認
めなければならない。確かに最新のカーボンロッドは高性能を追及するあまり、フライロッドに必要な部分や重要な部分を失ったり、マイナ
ス要素のを持ってしまったのも事実だが、多くの点でカーボンロッドの方が勝っているのは否定できない事実だと思っている。これは、私の
主観だが、バンブーロッドの応援をもう一つ。それは『 うまく出来たバンブーロッド 』からは金属的な響きがする。上手く出来たと言う意味は
、比重が重い、つまりファイバーの密度が濃くて硬いトンキンケインを完璧に接着する事が出来たロッドシャフトの事だ。そのロッドがどんな
ロッドなのかは、山女魚を釣れば良く解かる。水中でフライフックを外そうとする山女魚のローリングや首振り、それらの俊敏で鋭角的な山
女魚の動きの一つ一つがティッペット、リーダー、ライン、更にはロッド、コルクグリップを通してその振動が手のひらにダイレクトに伝って来
る。音で表せば、カンカ〜ン!とかコンコ〜ン!とかビンビ〜ン!と言った感覚である。それは、ロッドアクションとは直接関係無いが、寧ろ
ロッドシャフト自体の密度と言うか、強度と言うか、硬さと言うか、表現するのが中々難しい。強いて言えば、アクションはバンブーロッド特
有のミディアムアクションのままだが、手に伝わる振動や感覚は、まるで金属で出来ているかの様に敏感で、小さな動きも確実に伝わると
言った感覚だろうか・・・。逆に山女魚の動きや生命感が直に伝わって来ない様な、柔かく鈍感なロッドは私にとっては『うまく出来たバンブ
ーロッド』とは言えないのだ。最高のトンキンケインを使って、最高のシャフトが出来た瞬間にのみ、その金属的感覚を味わう事ができる。
それが、今の私にとって、唯一『上手く出来たバンブーロッド』の完成の瞬間である。バンブーフライロッドは一本一本手作りされる物だか
ら、作り手の全てがロッドに現われる。その中にはフライフィッシングの知識や技術、経験などの全てが詰め込まれている。つまり、ロッド
その物が製作者のフライフィッシャーとしての集大成なのだ。私は自分の欲しいと思えるロッド、納得できる1本を造る為に、自分が持つ
フライフィッシングの知識、経験、テクニックの全てを注ぎ込み、そして、造り続ける。恐らく、夢はそう遠くは無いだろうと思うのだが・・・。
フライフィッシングへの入り方も、人それぞれだと思うが、今の時代、まずはカーボンロッドから入るのが普通だろう。 しかし、中にはバン
ブーロッドからフライフィッシングに入る人もいると思う。何れにしろ、人は最初にのめり込んだ物に固執し、執着するもので、他を認めよ
うとはしなくなる。だが、最終的には両者を使い熟して、それぞれの良さと特徴を理解すればシチュエーションによって上手く使い分けが
出来る。また、キャスティングの技術も全く違う2者を使い熟せば、更なるテクニックの向上が望める事は確かである。だから、思い込み
や偏見、無意味な拘りを捨てる事によって真実が見えて来る場合も多い。私自身、バンブーロッドの信奉者でもなければ熱狂的コレクタ
ーでもない。但し、フライフィッシングの狂信者ではあるが・・・・。今までにあらゆるサイズと用途のバンブーロッドを造り、テストして来たの
は、実験研究の為と海外釣行で使うのが目的だった。しかし、それらの中でもツーハンドのバンブーロッドは、もう15年以上も使っていな
いし、北海道と言うフィールドで6#以上のシチュエーションならば、やはりカーボンロッドを使ってしまう事を自分の中では割り切っている
。今はフライフィッシングをゆったりと楽しみながら鱒と対峙したいと思うので、バンブーロッドを使うのは、3#、4#あたりで山女魚や岩
魚を釣る時だけにしている。本流域では50p以上のレインボーが出る事もあるし、ダムでは60p〜70pのブラウンも出る可能性があ
るので、おちおちバンブーロッドを使う事もできないのだ。今更、バンブーロッドの限界を知る必要もないし、トロフィーサイズにチャレンジ
してロッドを折っても仕方が無い。今の私はスローなロッドで、スローなテンポで周りの景色を見ながらゆっくりとした時間を川で過ごす事
が自分のフライフィッシングだと理解している。お気に入りの美しいバンブーロッドを持って、川を見に行くだけでも気持ちがいい。鱒を釣
る行為も楽しいが、その場のシチュエーションに溶け込んで自然と一体化できる時間が今の私の最も好きな事だと知る事が出来た。フラ
イフィッシングを知った当初は、いろいろな事に憧れたものだ。道具も勿論だが、釣り場でのテクニックやその佇まいにまで憧れた。中で
も、そのファッションだ!50年も色々な釣りをやって来たが、今でも釣りに行く時に正装に着替えて行く様になったのはフライフィッシング
だけだ。但し、ここで言う私の正装とは、勿論、モーニングやタキシードの事では無い。コットンパンツにボタンの綿シャツ、それに皮製の
アウトドアーシューズといった程度のいで立ちだ。勿論、帽子にも多少は気を配った。それは、キャップからハットになっただけなのだが、
ほんの少し格調高くなる様な気がして、気分も高揚したのを覚えている。海釣りや餌釣り、ルアー釣りをやっていた当時は、釣果だけが
重要であり、恰好などはどうでも良かった。まぁ、普通は皆そうだと思うが、ジャージ、スウェット、ジーンズにスニーカーと言うラフな物だ。
そして、その上にフ
ィッシングベストを着るだけでO.K なので、スクランブル発進にも時間は掛からなかった。ところが、フライフィッシン
グを知ってからの服装は明らかに違っていた。何故か、自分のお気に入りの恰好のいいウェアーを着て行きたくなるのだ。誰が見ている
訳でも無く、人に合う事も殆ど無い山や畑の川でたった一人で釣りをしているだけなのだ。それでも、私のフライフィッシングには正装が
必要だった。恐らくは、自分の中では高貴なスポーツだと感じていたフライフィッシング。キャッチアンドリリースと言う新しい概念、アメリカ
製の高価なロッドやリール。そして、最先端の生地で作られたウェーダーや恰好のいいフィッシングベスト等々、全てが新鮮だったし、魅
力的だった。だから、自分なりに、それらで武装しなければならないと思っていたのだろう。当時は中々、手の届かない高価な道具を手に
入れる事自体も、ある意味フライフィッシングの格調の高さを演出していた様に思えた。とり訳、オール・キャッチアンドリリースの概念は、
私に新たな道を示した。それはまさに、プレゼンス・オブ・ザ・ロードであり、新しい宗教への改宗でもあった。1960年代に提唱されたそ
の宗教は急速にアメリカの釣りと言う遊びの中に浸透して行った。それは、鱒のフライフィッシングだけでは無く、南部のバスフィッシング
の中でも急速に広まった様だ。
そう、教祖は、かのリー・ウルフその人である。今の日本での広がりを考えると、誰もが行っているキャッ
チ・アンド・リリースはアメリカに古くからある考え方の様に思えるが、実は50年程の歴史しか無い、新しい考え方でなのである。勿論、そ
の後の数年間は、私もその布教活動に専念した。だが、当時その布教に熱心だったのは、私だけでは無いだろう。70年代〜80年代に
掛けて、日本中に宣教師がいた様に思う。しかし、それらフライフィッシングの伝道師たちは、その新しい概念を布教するにあたり、日本
各地で歴史ある日本の釣り文化と戦ってきた事だろう。「釣った魚を逃がすのなら、初めから釣らなければ良い。何の為に釣りをするの
だ?」と言われたに違いない。逆に「意味も無く、魚を傷つけ、弄ぶ行為こそが不謹慎だ」と言う意見もあっただろう。伝統あるイギリスの
フライフィシャーは、今でも専用の殺魚棍棒を持ち歩き、釣り上げたら一撃で殴り殺す。そして、食料として持ち帰るのが伝統である。アメ
リカでも日本でも、元々は釣って食べる事が目的なので全く問題は無いのだが、魚をキープすればする程、減ってしまう。そう、すぐに資
源は枯渇してしまうのである。河川と言う、限られた狭い環境では尚更である。その中で、個体数を維持し、いつまでもフライフィッシング
を続けたいと思う、純粋なフライフィッシャー達がゲームフィッシングの為に広めたのが、キャッチアンドリリースだ。今では、世界中のプロ
の漁師たちも、資源保護の為に規格外の魚は全てリリースしている。そう、当時私が宣教師だった頃、キャッチアンドリリース教を布教す
るにあたり、言っていた事を思い出した。「鱒は美味しいので、釣って食べるのは構わない。ただし、もしこの小さな流れから鱒が居なくな
ってしまったら、真っ先に竿を置くべきは、此処から鱒を持ち帰り、食べてしまった奴からだ。私は、鱒を持って帰らないので最後までここ
で釣りをする。だから、この先も此処で楽しい釣りをしたければ、鱒を殺して減らさない事だ。」と言う物だった。
初めてアメリカ製のウェーディングシューズを見た時は度胆を抜かれた!釣りをする為に、胴付きとは別の専用靴を履く!それまで日本
の釣り具店で売られていたのは、ゴム製一体型の胴付き長靴だった。それは、薄っぺらで柔かく、川底の石に足を滑らせ、躓く度に足の
指を痛めていた。しかし、そのゴツイ、ウェーディングシューズは全く違っていた。足首までしっかりとホールドし、岩に足をぶつけても全く
痛くない。その上、ご丁寧にも靴底にはフェルトが貼られ、苔でツルツルの川底でも殆どらない性能。これはリッチな世界だ。川釣りの為
だけに、ここまで贅沢な専用シューズを履く。日本の常識を超える、この釣り文化には正直言ってシビレタ!感動した!これは是非とも履
かない訳にはいかないと思い、すぐにウェーダーとシューズを買い揃えたのは言うまでも無い。そして、颯爽とフィールドに出掛けたのを覚
えている。全てが高価な道具で纏まるフライフィッシング。だから、使う道具と着る服とのバランスを取って行くと、自然に出かける格好もア
ウトドアー的正装になってしまうのだ。作業着やスウェットの上下の様なラフな恰好では、自分の中でフライロッドを振る事が許されなかっ
たのだと思う。まぁ、気張った恰好で釣りをするのも自己満足だし、その方が気合いが入って釣りに集中できたような気がしたのは、私だ
けだうか?ロッドに付いてもまた然りである。今でもバンブーロッドは一般的に高価な道具であり、予算を捻出するにはそれなりの収入と
努力が必要だ。しかし、ロングキャストに一区切り付いたら、或いは大物を追い求めなくなったら、そろそろバンブーロッドの出番だ!夢を
1つ1つ実現して行こう!まずは中古品でも十分だ!ネットオークションで探せば良い。当たり外れもあるだろうが、取り敢えず手に取って
みよう。そして、キャリアと予算が出来たらステップアップだ!自分だけのオリジナルロッドをオーダーするも良し、著名なロッドを手に入れ
るも良し、そして最後はビンテージロッドだ。最終的にはそこまで辿り着かなければ納得できない遺伝子を持って生れて来たのが釣り人だ
。嗚呼、それにまだある。シルクライン!これがとどめだ。あんな過去の遺物、現代のフライフィッシングには不要だなどと無理に自分自身
に言い聞かせて避けて通る必要も無いし、無理して諦める必要も無い。まずは使って見ようではないか。少し高価なのは確かだが、色々な
鳥の羽や動物の毛を買い集めるよりは遥かに安い。それに、結構長持する。ビニールのフライラインは2〜3年でひび割れて来るがシルク
ラインはそんなことは無い。それに、何と言ってもそれこそが最終地点である。自分自身が歩んできた、夢見て来たフライフィッシングを見
つめ直す事が出来る。上達はしないかも知れないが、あぁ、なるほど!とフライフィッシグの本質を垣間見る事が出来るかも知れない。1つ
例を挙げよう。PVCラインだけを使っていた頃はフローティングラインが水に沈むと気になって仕方がなかった。いつもラインにフロータント
を塗って手入れをし、沈みだすと釣れない様な気がして来る。それはPVCラインは浮くのが当然だと思っているからで、それが沈むと扱い
辛く、不快にもなる。しかし、シルクラインを使って思った。基本的にシルクラインはフロータントを塗って手入れするので、常にシリコン漬け
である。だが、水面での表面張力は弱く、すぐに水面を割ってしまう。しかし、沈んで行く訳では無く、インターミディエイト状態で水面下に位
置する。更に浮かせようとシリコンフロータントを余計に塗っても同じだ。ラインは沈むし、ファルドリーダーと呼ばれるブレイデッドのシルク
リーダーもまた沈む!どんなにシリコンを塗り込んでも沈むのだ。そうか、昔はこれでドライフライの釣りをしていたのか?そう思って開き直
るしか無い。幸いにもナイロンのティペットとフライは浮くので、まぁいい!これで釣ろうと思う様になる!ラインもリーダーも水中だが気にし
ても仕方が無い。後は、テクニックでカバーして何とかするしか無いのだが、慣れて来れば何とかなるものだ。リフティングやメンディングを
駆使してフライを流す工夫をすれば、やがては釣れる様になって来る。PVCラインとカーボンロッドの釣りよりは少し難しいが、慣れれば然
程の事では無い。キャスティングもまた然りで、PVCラインよりもテーパーが小さく、テーパードラインの物理的恩恵は少ない。そんな、少し
使い辛いシルクラインではあるが、マスターすればそれなりに使い熟せる物だ。ただ、百年前のフライフィッシングを直に体験できるのは偉
大な事だ。さぁ!怖がる事は無い!先入観や固定観念、思い込みを捨てて突き進め!自身のフライフィッシングを自ら小さく狭くする事は
無い!少しずつでも良いから前進しよう!必ず新しい世界が見えてくるに違いない。まぁ、最終的には使うロッドもラインも何でも良くなり、
終いには魚にフライを咥えさせる事だけが全てになってしまうのだが・・・つまり、『弘法、筆を選ばず』である。そして、そんな時代を通って、
一生懸命フライフィッシングの腕を上げ、魚を沢山釣って来たのだが、今の私には1匹も釣れない日も、なぜか悔しさは沸いて来ない。そし
て、いつもこう思う。また来よう!お気に入りの美しいロッドとウエアーでバッチリとキメて!次は鱒と会えるかもしれない!
エゾ鹿(北海道の大きな鹿)の角を削り出して造られた特別なリールシートとHexastyleリング・キャップ Made of Japanese deer horn. |
Episode 5 弓道 昔から強度と耐久性を求めて進化してきたフライロッドの完成型が6角形のバンブーロッドなのだが、今はその地位
を最新のカーボン製のロッドに取って替わられた。大物を釣る為には高番手のロッドが必要だが、その使い勝手や重さはカーボン製
には敵わない。しかし、日本の小さな川、特に山岳渓流に棲む岩魚や山女魚を釣るには3番か4番ラインが丁度いい。私が思うに、バ
ンブーロッドが最も似合うのは日本の渓流だと思う。そんな事を言えば、アメリカ東部のブルックトラウトに叱られそうだが、それは紛れ
も無い事実であり、キャッツキルの小さな支流と日本の渓流は似た様な環境だからである。勿論、鱒のサイズも同じだし、水棲昆虫も
類似している。だから、それら多くの共通点を持つアメリカ東部の釣りが、そのまま日本で実戦できるのは幸せな事だ。日本でバンブ
ーロッドが人気なのも、その辺が理由なのかもしれない。まさに、成るべくして、成ったと言えるだろう。日本の渓流は、殆どが山に囲
まれ、深い谷底を流れている場合が多い。その為、荒天の時以外は風が殆ど無く、繊細なバンブーロッドも無理なく使える。逆に、日
本にはアメリカ西部の様な途轍もなく広い荒野に大きな流れ、と言う環境が殆ど無いので高番手のロッドを使う状況は限りなく少ない
。だから、使うタックルもシチュエーションもアメリカ西部のそれとは異なって当然と言える。環境もターゲットも全く違うのだ。だから、ア
メリカ西部で普通に使われている道具は日本の環境には合わないだろう。日本国内には6番・7番・8番のカーボンロッドを使う環境は
湖などの止水を除けば殆ど無いし、無理にツーハンドロッドを使うにしても、此処にはアトランティック・サーモンもスティールヘッドも居
ないのだ。北海道でサクラマスやアメマスを狙うのが精いっぱいである。実質的にはサクラマスもアメマスもシングルハンドの6番ロッド
で十分渡り合えるターゲットだ。そして、アメリカ中・西部の川が日本のそれと最も違う点は、ターゲットとなる鱒が大きい事の他に、小
さな流れやスプリングクリークでも、周囲には山が無く、広い平野の中を流れているので強風が吹く事だ。つまり、アメリカ西部のフライ
フィッシングは強い風との戦いと言う事になる。ターゲットの大小に拘らず、風が強ければ、その風に負けないキャスティングをする為の
ヘヴィーなフライラインとロッドが必要になる。そして、最も恐れるべき事は、強風の中でライトタックルを振り回す事だ。風に負けまい
と、或いは広い河での遠いライズにロングキャストしようと、必要以上に力む事である。カーボンロッドならば可能だが、バンブーロッド
では、鱒を釣る前にロッドを折ってしまう可能性さえあるからだ。ヘンリーズフォークなどは良い例だが、張り切って釣り場に行き、車か
ら降りてみると、思ったよりも風が強い事が多い。イブニングの凪は別にしても、日中に釣りをしようと思うと天気が良くても風が強い。
ついつい、風を計算してカーボンロッドに手が伸びてしまうのだが、強い風に負けないラインスピードとループ、その上、ロングキャスト
強いられるのはバンブーロッドには負担が大きすぎるし、無理して振り回してロッドを折っても仕方がない。それにメンディングもだ!川
幅が広く複雑な流れでは、ナチュラルドリフトの為に大きなメンディングを多用しなければならないが、それも、バンブーロッドには負担
が多きすぎる。素早く大きなメンディングをするなら、やはり9ftのカーボンロッドの方が都合が良い。当然、釣果も上がるので結局カー
ボンを握ってしまうのは仕方のない事だ。だから、アメリカの中西部でもバンブーロッドが作られ、使われるのは少し不思議な気がする。
しかし、日本の静かな渓流にはやはりバンブーロッドの方が良いし、とてもよく似合う。岩魚や山女魚を釣るなら、高速なラインスピード
も大きなメンディングも要らない。 静かにゆっくりと、ゆったりバンブーロッドを振ればいい。だから日本の川にはバンブーロッドがとても
よく似合うのだ。
日本は竹の国だ。多くの種類の竹がそこらじゅうに沢山生えている。今はプラスチック製だが昔は竹製だった物もたくさんある。バンブ
ーロッドを造っていて、ふと思った。1.000年以上も前から日本にある竹製の弓はバンブーロッドと同じ性格を持った道具ではないか!
そう思い、和弓の事を調べ、研究してみた。弥生時代から戦国時代の直前までは木製の弓だったが、その後、より強い威力を発揮す
るために反発力と耐久性を求めて竹製に進化して来たのだ。弓の製法や歴史を調べてみると、竹の扱い方や加工の仕方はバンブー
ロッドと共通する点も多い。竹を割り、火入れして竹の水分を抜き、硬度と耐久性を増していた。2枚の竹を裏表に使い、パワーファイ
バーを上手く使っている。更にグリップの中に使われる芯の部分は焦がして硬くする事によって弓の威力を更に増す努力をしている。
それらを膠などの天然接着剤で張り合わせ、より強い反発力を得ようとした工法はスプリットケインバンブーロッドのそれに良く似てい
る。弓の研究はとても勉強になったが、同時に弓の世界もフライロッドと同じ問題を抱えている事が見えて来た。それは、弓道の世界も
例に洩れず、今の弓の材質が最新のマテリアルのカーボンになっている事だった。反発力が強く、おまけにメンテナンスフリーのカーボ
ン弓、バンブーロッドと同じく、竹弓からカーボン弓に替って来たのも当然の事だと思う。しかし、近年は伝統の竹弓の人気が高まって来
た為に、メンテナンスフリーでタフなカーボン弓に慣れた人も、竹弓を購入してカーボン弓と同じように扱い、壊してしまう事故が多発して
いるらしい。弓師(和弓を作る人)のWebサイトではデリケートな竹弓の取扱い方法を詳しく紹介し、注意を促している。やはり、カーボン
弓が全盛の今は、竹弓を使うのは弓を知り尽くしたベテランでなければ壊してしまうリスクが高いのではないかと思う。そして、私はフラ
イロッドも現在、全く同じ状況に置かれていると感じた。タフで扱い易い最新のカーボンロッドは、キャスティングで多少無理して振り回し
ても、簡単に折れることは無い。しかし、バンブーロッドはどんなに頑丈に作ってもカーボンのそれに勝ることはできないのである。カー
ボンよりも弱い天然素材の竹だから、折れないように使うには、使う側も折らないような使い方を研究する事が必要がある。そして、そ
れもまた楽しみの一つでもある。科学の時代にあって、敢えて使い易い高性能なカーボンロッドではなくバンブーロッドを使う上級者た
ちにとっては、改めてフライキャスティングの基本や本質を学ぶことはとても楽しい作業になるに違い無いと思う。実際のところ、バンブ
ーロッドは使う釣り人を選ぶ道具である。だから、バンブーロッドの魅力を知れば、バンブーロッドに選ばれる釣り師になりたいと思うの
は当然の事だ。だからと言って、それは決して難しい訳では無く、肩や腕の力を出来る限り抜いてソフトにゆっくりと振る、ただそれだけ
で良いのだ。焦る事は無い!時間をかけてゆっくりと振ろう!遠くに投げる為に力む必要も無い!必要なのは正確性であり、コントロー
ルだ!初めてフライロッドを握った頃の、フライキャスティングの練習を始めたあの時の感覚に戻れば良い。無理矢理、力で投げる必要
は無い。フライラインの重さと、ロッドの曲がりをじっくりと手に感じながらフォルスキャストする。水面からラインをピックアップする時も、ま
るでスローモーションのようにゆっくりと、しかし、ラインの重みを確実に感じながら、ゆっくりとテンションを掛けたままでソフトにピックアッ
プする。肩や腕の力を抜いてリラックスし、グリップも軽く握る。そう、綺麗なループラインを描く事以外の余分な力をロッドに掛けない。兎
に角バンブーロッドを握ったらリラックスする事だ!上級者なのだから魚を釣る事だけに囚われるのはもう卒業だ!お気に入りの美しい
ロッドを持った自分と周りの自然との調和を楽しもう!トロフィーサイズとの勝負はカーボンロッドに任せる事にしよう!バンブーロッドで
大物を狙うなんて論外だ。トロフィー狙いはテクニックの勝負であり、道具の自慢にはならない。昔の釣り師がツーハンドのバンブーロッ
ドでサーモンに挑んだのは、それしか無かったからで、今はカーボンロッドと言う高性能な武器が沢山あるのだから、敢えてロッドを折る
リスクを抱える必要は無い。それと釣堀だ!これも私の主観だが、もしも、自分の大切なバンブーロッドが折れるとすれば、当然の事な
がら、その死に場所は釣堀などでは無い。できる事なら大自然の流れの中で、ワイルドの大物と対戦した時であって欲しいと思う。時に
は、自然
の流れからも予想外の大物が飛び出す事も有るが、その時は、覚悟の上で対戦するか、或いは、こちらからティペットを切っ
てロッドを守るのか、その選択を迫られる事もある。仮に、覚悟の上の戦いを選び、無残な姿になったとしても、恐らく、それはそれで
後悔する事は無いだろう。多分、大切なロッドを折られたその敗戦は、栄光の戦いとして永く記憶に残り、更に、武勇伝として人に話す
価値が生れるからだ。しかし、釣堀は違う。あの小さな池には、初めから大きな養殖の鱒が放されているのだ。自然環境の中ではあり
得ない、巨大な養殖魚に折られるのであれば、大事なバンブーロッドは死んでも死にきれない。まさに、それは犬死にでり、恥に思う事
はあっても武勇伝には成り得ない。自然の流れならばプールの大きさや、そのポイントの流水量、餌の流下量を予想して、対象魚のア
ベレージサイズも大方、見当が付く。だから、使うべきロッドも自ずと決まるので、敢えて危険な賭けをする必要も無くなる。やはり、銘竿
の最後は武勇伝で締め括りたい物である。
カーボンロッドに慣れた釣り師がバンブーロッドを手に入れた時、いつものカーボンロッドと同じ様に扱ってはいけない。竹の限界点は
明らかにカーボンのそれよりも低いのだから。カーボンロッドと同じ様にブンブン振り回してもロッドの寿命を縮めるだけだ。バンブーロ
ッドにラインスピードや遠投性、軽さを求めるのはナンセンスだし、まして、作る側もキャスティング性能の向上や軽量化の為に強度や
耐久性を犠牲にするのは釣竿として本末転倒である。しかし、カーボン全盛の時代だからと言ってバンブーロッドは単なるアンティーク
や装飾品では無い、実釣に使える立派な釣り道具だ。強度や耐久性、軽さに関しては到底及ばないが、バンブーロッドには最新のカー
ボンロッドには無い、フライロッドとしての利点も沢山ある。例えば、その適度な重さはフライキャスティングに於いて、ロッドに真っ直ぐな
軌跡を描かせ、キャスティングとプレゼンテーションを正確にする。また、そのソフトなロッドティップは魚の動きに確実に追従し、逃がす
確率を減らしてくれる。だから、バンブーロッドを使う側は、更に腕を磨きロッドに選ばれる釣り師になるべきである。
弓道の世界で伝統
的な竹弓を使うのは、正に【弓道】である。矢の正確さや飛距離を求めるならカーボン弓を使えば良い。フライフィッシングの世界も同様
だと思う。言うなれば竹竿を使うのが正に【釣道】であり、性能を求めるのであれば、カーボンロッドを使えば良いと思う。バンブーロッド
はカーボンロッドとは全く違う物だと思うべきだし、デリケートな素材だと理解して、ほんの少し慎重に扱えば和弓と同様、
簡単に折れる
事無く、永く使える素晴らしい道具である事は確かだ。
1993 New ZeaLand 南島の銘川、中央の森の中に古い釣友 Mike Moffittの自宅があった
Episode 6 真実の追及 ニュージーランドでの思い出を一つ。かなり昔の事だが、マイクと私と相棒の3人でハンターリバーの上流に
3日間の釣りキャンプに出かけた時の話だ。ニュージーランドの山奥にはHutと呼ばれる、ハンティングと釣りの為の山小屋が約10q
事に作られている。その小屋は入山した者が自由に泊まれるシステムではあるが、私有地の為、入山自体に許可が必要だ。そこには
電気も火も水も何も無く、ただ粗末な小屋があるだけだ。この日も、約3時間の過酷な道のりを走破し、やっとの思いで目的の小屋に辿
り着いた。マイクが運転したその過酷な道は、まさにアドベンチャーと呼ぶに相応しい行程だった。我々も普段から四輪駆動車を駆使し
て北海道の山奥を鱒を求めて突き進んで来た。道無き道を走るのは慣れてはいたが、マイクの走りは四駆の限界を超えていた。この
日の目的地であるスクラビー・ハットに着くまでには、本流に流れ込む沢を10本程渡った。勿論、それらの沢には橋などと言う気の利
いた物は無いので、大きな石が転がる川原をただ突っ切るのみだった。お陰様で3〜4回はスタックし、その脱出には1時間も費やし
た。そして、その度にもう限界だ!と諦めかけるが、マイクはどんどん突き進んだ。「Tha'a easy!」と言いながら。それと、まだ他にも
面倒な事があった。それら、私有地の山は、牛や羊の牧場になっているので。数百メートル毎に鉄製のゲートがある。だから、ゲートの
度に車を降りて開け閉めしなければならない。初めの内は物珍しさもあって数を数えていたのだが、20を超えるあたりから数えるのは
止めてしまった。そして、最終的には30を軽く超えていたと思う。牧場の中とは言っても、その林道は殆ど片側が崖になっている険しい
道だった。時には、崖下まで100mもある様な場所もあったし、更には道幅と車幅が殆ど同じ位で、20〜30pの余裕しか無い所もあっ
た。また、起伏の激しい場所もあり、急な坂は惰性を付けて登らなければ、我々の乗っていたその初期型ランドクルーザーは登り切れ
ずにずり落ちてしまいそだった。まるで、テレビで見る秘境探検番組の様相を呈していた。そう、あの、ヒマラヤやアンデスの山奥に行
く様な状態だ。釣りの為に此処までやるか?と思わせる道程だが、マイク曰く「俺の大好きなポイントに連れってやる」。従うしか無かっ
た我々だが、苦労の先には必ず天国が有ると思い込むしか無かった。
前線基地であるスクラビー・ハットに水が無いと言うのは上水道の事であり、小屋の裏にはドラム缶で出来た雨水の貯水槽があった。
勿論、釣行中の喉の渇きは川の水をそのまま飲むのだが、紅茶やコーヒー、或いは調理に使う水は、そのドラム缶の雨水を煮沸して
使う事になる。そして、小屋に着くと真っ先にやらなければならない事があるが、それは、釣りでもなく、食事でもない。何と薪割りだ。
何故、薪割りかと言うと、火は山岳渓流では絶対的な物であり、暖を取るのは勿論のこと、飲み水を沸騰消毒で作ったり、食事を作ら
なければならないからだ。小屋には暖炉と古びた鉄製のフライパン、ボコボコに凹んだアルミ缶のようなポットだけが置かれていたが
、我々はそれらを駆使して御馳走を作らなければならなかった。だから、最初に薪を割るのは自分の為では無く、次にそこを使う人達
の分を割っておかなければならないしきたりだからだ。自分たちが使う薪は前の人が割っているので、すぐにその薪を使って火を熾す
事ができる有り難いシステムだ。後で割って帰るのは面倒だし、忘れるかも知れない。だから、着いたら真っ先に薪割りを済ませてお
くのだ。釣友マイク・モフィットはニュージーランド公認のフィッシングガイドであり、パークレンジャーでもある。私とは同い年でとても気
が合うのは勿論だが、彼からはフライフィッシングの事やその他にも色々な事を学んだ。その彼は今はガイドを辞めて弟と共にアレキ
サンドラの町でヴィンヤードとワイナリーをやっている。因みにヴィンヤードとはブドウ園の事である。
フライフィッシャーマンが水棲昆虫に詳しいのは当然の事だ。それは、ターゲットである鱒が水棲昆虫や陸生昆虫を食べていると言う
前提からなのだが、それが全てでは無い。小さな鱒の主食は勿論、昆虫だが、大きくなるに連れてその食性は変化して来る。海外も
含め、ごく一部の特別な流れを除いては、より栄養効率の良い魚食性になる場合が多い。ワイルド・トラウトの大物と対戦できるチャ
ンスとなれば、国内でも北海道以外で探すのは難しいだろう。その為、インセクト・フィーダーとのフライフィッシングでは、その食性を
知る方法としてスタマックポンプが使われる場合が多い。それは、釣り上げたトラウトの胃の内容物を調べ、自分の使ったフライとマ
ッチしているかどうかを調べるゲームだ。しかし、それは鱒が小さいか、或いは、スプリングクリークのように水棲昆虫のハッチが多い
特別な環境に限られる。また、明らかにライズしている鱒を釣る場合には有効であるが、山岳渓流、フリーストーンの流れではあまり
意味がない。ニュージーランド南島の3.000メートル級の山々から流れ出す川では、氷河からの冷たい水と強い流れで川底の石は白
く、苔や水草も付いてい無い。そして手付かずの山は護岸される事も無く、河原も広い。山麓の森から川までの川原の距離は数百メ
ートルもある。川は森の木々から遠い上、水中には枯葉や枯れ枝もあまり無いので、水性昆虫もテレストリアルも、殆どいないと言っ
てもいいだろう。だから、ライズも殆ど見る事が無い。にも拘らずトラウトが大きいのは何故だろう?何を喰っているのだろう?また、
捕食できそうな小魚も殆ど見当たらない。フライで鱒を釣る者にとっては、そのトラウトが何を食べているかを知りたいのは当然の事
だ。或る時、ニンフで50p程度のブラウンを釣った。川底に定位してる魚を見付け、ヘアーズイヤーか何かをキャストした。その鱒
は当然のように小さなニンフを咥えた。そして、魚を取り込んでリリースしようとした時、相棒がスタマックポンプを取り出して、何を食
べているのか調べようと言い出した。そして、Lサイズの太めのスタマックポンプを胃袋に突っ込んで、水と一緒に吸い出した。だが、
不思議な事にスタマックポンプからは何も出てこない。おかしい?
腹はパンパンに膨れていて素晴らしい魚体なのにだ。そして私は
言った。「それでは今晩この魚を食べる事にしよう!よし!キープだ!」フライフィッシングはキャッチアンドリリースが基本だと皆に教
えて来た私の口から、キープと言う言葉が出るとは思ってもいなかったのだろう。皆びっくりした顔で私を見た。腹を裂いて胃の中を
調べてみよう!その為のキープだ!別にブラウントラウトが食べたい訳ではないが、殺して捨てる訳にもいかない。ただ、何を喰って
いるのか真実を知りたいだけだ。この際、調査捕鱒、とでも言っておこう。日本でも普段は鱒をキープする事も無いし、川魚を食べる
事も無い。ただ、昔、釣りキャンプで岩魚や山女魚の焼き方、燻製作りなどの食べ方を後輩に教える目的で、偶にキープする事はあ
った。参考までに、今はどうなっているか判らないが、十数年前のニュージーランドでは、食用の為ならばトラウトを一人2匹までキー
プできるレギュレーションだったと思う。それでキープに踏み切ったのだが・・・・。
話を戻そう!そして、ナイフで腹を裂くと、大きく膨らんだ胃袋がで出来た。更にその胃袋を切り開いた瞬間!皆の口から同じ言葉が
でた。 ウォ〜〜〜!! God! 何がでた? 何だこれは?少し溶けかかった胃の内容物をナイフで掻き分けると、それはそれは、
悍ましい姿をしたエイリアンが3体出て来たのだ。その3つの物体を正確に描写すると、1つは、小指ぐらいの太さで長さは20cm以
上はあろうかと思われる巨大ミミズ、そして、残る2つはと言うと、それは、親指よりも太い胴体を持ち、羽や足を入れると10cm以上
はあると思われる巨大なバッタらしき物だった。ただ、その巨大バッタの羽は完全に溶けて無くなっていたようで、巨大な胴と太く長い
脚だけが確認できた。その時点では、日本で言う処の「トノサマバッタ」の仲間だと思っていた。胃の中には他に小さな昆虫などは見
当たらず、中身はそれだけだったのだ。これではスタマックポンプが役に立つ筈も無く、その光景は今でも鮮明に蘇るほどインパクト
のある悍ましい光景だった。そして、残念な事だが、その光景が余りにも凄すぎたので、殺してしまった魚を後で食べようと言う3人の
正義はどこかに吹っ飛んでしまっていた。その場で手を合わせ、その魚を棄てざるを得ない事を許してもらい、すごすごとその場を立
ち去った事は忘れる事が出来ない思い出だ。後に調べて解かった事だが、ニュージーランドの大鱒達にとって非常に重要なタンパク
源であるだろう、その巨大バッタは世界最大の昆虫の仲間で『ウェタ』(Weta)と呼ばれるニュージーランド固有種のバッタらしい。翅は
退化していて初めから付いていないが、バッタ目(カマドウマ科)の昆虫らしい。ニュージーランドには約70種が生息し、最大の物はジ
ャイアント・ウェタと呼ばれ、30cm程まで成長するらしい。過去数年間の間にニュージーランドの山奥を何日間も、何百時間も釣り歩
いたが幸運にも生きている状態の『ウェタ』には一度も遭遇していない。この時、私達が見たトラウトの胃の内容物は、恐らく子供のウ
ェタか、小型の種類なのだろう。それでも10cmはデカイ!そして、生きているウェタに遭遇しなかった事は、私とっては実に幸運だっ
たと言える!と言うのも、私自身、元々昆虫が得意な方では無いからだ。特に大きな虫が嫌いだ!しかし、小さな虫は辛うじて大丈夫
なので、取り敢えずフライフィッシングにのめり込む事は出来たのだが・・・。フライフィッシングの中心を成す水棲昆虫が小さかったの
は、私にとって実にラッキーだった。アッ!こんな事を考えている間に、更に悍ましい出来事を思い出してしまった。それは近郊の小さ
な支流での体験だ。その事件は、取水堰堤の上のフラットなプールでイブニングに起こった。プールは幅7〜8m、長さ40〜50mで、
40p前後のワイルドレインボーが4〜5匹ライズしていた。ゆったりとしたディンプルライズが所々に広がり、まるでアメリカのスプリン
グクリークを連想させる眺めだった。事実、此処の水源は湧水である。日が沈み、空が濃い紫色になり始めたが、まだライズは見え
る、いよいよプライムタイムだと思った瞬間!両サイドの灌木やイタドリの間から何やら小鳥の様な生き物が飛び立ち始めたのだ。そ
れが何なのかは暗くて確認出来なかった。4〜5匹飛び立った時点でも、まだ小鳥だと思っていた。低空を不規則な動きでホバリング
しながら飛び交い、それはどんどん数を増して行ったのだ。10匹、20匹、30匹と増えて行き、最終的には私の視界に入っているだ
けでも100匹を超える数になっていると思われた。更に、段々こちらに近づいて来るヤツまで居る!あれはいったい何だ?私の頭の
近くまで迫ってきた瞬間!背筋が凍った!スズメだ!私の最も嫌いなスズメだ!しかし、スズメと言っても鳥の『雀』では無い。『何とか
スズメ』と言う、羽よりも大きな胴体を持つ蛾の一種である。私が昆虫の中で最も嫌いな『何んとかスズメ』、何が悲しくてあんなデカイ
胴体持っているのだ。胴体が大き過ぎて、羽の大きさとバランスが不自然だろう!そう、そのアンバランスな生き物を一度にこれだけ
沢山見たのは後にも先にもこの一回きりだ。ヒゲナガのスーパーハッチもマイグレーションも許せるが、この『何とかスズメの』スーパ
ーハッチだけは許すことが出来ない。もし、200リットルドラム缶くらいの大きなジェット式殺虫剤があれば、恐らく、全滅させるまで戦
っただろう。皆殺し作戦だ!だが、そんな物は有る筈も無く、撤退を余儀なくされた!当然、一目散に土手を駆け上がり、車に逃げ込
んだ。そして、ディンプルライズを振り返る事も無く、車を全速力で走らせた。50年近くも自然の中で釣りをし、イブニングの釣りはいつ
も真っ暗になるまでやって来たが、こんな光景を見たのは初めてだった。確か、夏のイブニングだったと思うが、何月の出来事だった
かは覚えていない。そして、それ以来、あの素晴らしいレインボートラウトのプールに行く事は無くなっていた。まァ、こんな虫が苦手な
人もフライフィッシャーの中には結構居るだろう。しかし、不思議な物だ。蛾が大嫌いな私でも、ヒゲナガがトラウトの大好物でフライフ
ィッシングに欠かせない重要な昆虫だと思うと、あのスーパーマイグレーションの時にロッドや手、顔などに大量にぶつかるヒゲナガが
気にならなくなるものだ。いや、それどころか年に一度のスーパーマイグレーションが楽しみにさえ思えるのは、子供の頃の自分には
あり得ない事だ・・・。これを読んでいる皆さんも、もし勇気があれば挑戦して欲しい。その巨大なニュージーランドのエイリアン『ジャイ
アント・ウェタ』(Giant Weta)の写真はWebで見る事ができるので、検索して見るのも一興だ!但し、その悪魔がニュージーランドの巨
大なブラウントラウトの大好物だとしても、私にはその悪魔を一生好きにならない自信がある。そう!許せるのはメイフライ、いや、カ
ディスまでだ!
真実の追及には常に勇気が必要である。それは、改めて真実を追求する事によって、今まで培ってきた自らの知識や経験を否定さ
れてしまう事が多々あるからだ。本から得た知識を鵜呑みにした思い込み。想像の中から作り上げてしまう間違った事実。自らの経
験から得た知識以外は、1つ間違えば自分自身を狭い世界に閉じ込めてしまう可能性さえ有る。つまり、釣れる魚も釣れなくなる可
能性もあるのだ。イエローストーンはマッチングザハッチの釣りだ、そして、マッチングザハッチこそがフライフィッシングの神髄だ。な
どと長い間、日本に紹介され続けて来た。確かに、一部は当てはまるし、間違ってはい無い。しかし、それがフライフィッシングの全て
では無い。虫を喰っているのは小物だけで、大きなトラウトは小魚を喰っている。共喰いもする。カニも喰っているし、川エビも喰ってい
る。カエルやザリガニ、巻貝も喰っているし、小動物さえも喰ってしまう。口に入る物なら取り敢えず何でも喰ってみる。また、間違って
葉っぱや枝を喰ってしまう場合もある。胃の内容物を見れば解かるが、実際に捕食している虫以外にも色々な物が食べられているの
だ。フライフィッシングにも色々あるが、水性昆虫のマッチング・ザ・ハッチの釣りが最も難しくて面白い、と紹介されているのであって、
それがフライフィッシングの全てでは無い。1つの事象や知識に囚われずにあらゆる角度から考え、研究するのがフライフィッシングの
面白さだと思う。日本の渓流釣りで、昔から言い伝えられて来た一つに、『岩魚が石を喰っているのは、大雨の増水でも流されない様
に体を重くしている』と言うのがある。確かに、胃の中に小石が沢山入っている事があるが、それは、体重を増やす目的で故意に石を
食べているのではないだろう。恐らくヒゲナガのラーバ(黒川虫)をストーンケース(小石の塊)ごと食べているので、そのケースドカディ
スの小石だけが胃の中に残ったのだと思う。スタマックポンプで吸い出せる胃の内容物には限界がある。だから、本当に真実を知り
たければ胃を切り開いて解剖し、真実を追求するしか無いのである。あのレオナルド・ダ・ビンチの様に!
では、ダ・ビンチな話をもう一つ。私の大好きな川の話をしよう。それは、自宅から車で一時間程の中級河川なのだが、かれこれ30年
以上は通っている。下流部の川幅は30〜50mあり、時折、大きなニジマスが釣れる。また、大型のアメマスやサクラマスも釣れる素
晴らしい流れだ。上流には、殆どニジマスだけが生息する支流が2本流れ込み、下流部の大きなニジマスを生産、供給している。問題
はその下流部の大きなニジマスの食性である。ルアーでは偶に釣れる事もあるのだが、日中のフライフィッシングでは中々釣る事が出
来ない。何処に隠れているのか、水性昆虫のスーパーハッチがあってもライズする事も無く、出て来る事も無い。何年も通い詰め、研
究し、調べて来たが、その理由は全く判らなかった。流れの緩い下流部では水性昆虫のハッチも多いが、いつもイブニングに釣れるの
は大きくても40pだ。60〜70p級は、いったい何処で何を喰っているのか?以前、一度だけではあるが、その下流域でモンスター級
を掛けた事がある。『掛けた』と言う表現を使ったのは、そう、結果的に逃げられたのだが・・・。対岸までの川幅は30〜40m程あるが、
その、対岸の浅瀬の底に丸太が沈んでいる様な影を見付けた。あれは底石か、沈んだ倒木か、或いは魚か?暫く様子を伺っていると
、その50〜60pの影がユラリッ!と動いたような気がした。手にしていたのは、9フィート6番のカーボンロッドだ。よし!その影までは
25ヤード以上あるが、リーダーとティペットの長さを足せば、何とかフルラインで鼻先まで届くだろう。そいつが定位している場所は浅瀬
の上、天気も晴天だ。これ以上のストーキングは止めた方が良い!逃げられたら元も子も無い!まさに、千載一遇のチャンスと言うや
つだ。フライはどうしよう?悩んだ結果、ハッチも無かったので、何でもいい、デカイ魚にはデカイニンフでもくれてやろうと思い、いつだっ
たかアメリカで買った巨大なブラックストーンフライニンフ、そう、ラバーレッグの付いた8番フックの真っ黒いやつを結んだ。一発勝負な
のは疑う余地も無い。ワンキャストで決めなければ、深さ50p程度の浅瀬にいる魚は逃げるだろう?緊張の一発勝負!私としてはその
緊張も嫌いでは無い。予め、フライラインをリールから全て出し、キャスティングの準備は出来た。フォルスキャストは最小限にとどめ、2
回で鼻先に持って行きたい処である。そして、キャスト!その日は、連れが2人居たのだがターゲットが底石か、魚かは定かでは無かっ
たので、彼らには知らせずに狙う事にした。そして、ラッキーな事にフライは一発で影の50p上流に着水、そして、3〜4秒後にその影
が少し動いた様な気がした。いつもの様にイッター!と奇声を上げ、ロッドを大きく煽った。上流と下流に一人づついた相棒達が一斉に
こっちを見た、瞬間、獲物は大きくジャンプ!相棒たちも、ウォー!デカイ!と声を上げたのが聞こえた。そして次の瞬間!フライライン
はテンションを失い、ロッドティップからダラリと垂れ下がっていた。結果は勿論、先に書いた通り、『掛けた』だけでブラックストーンニン
フとモンスターは消えていた。60p以上はあろうかと思う、大きなニジマスだったが、相棒達は今のはデカイよ70p以上あったんじゃな
いか?と言っていた。私に対する慰めか?まぁ、60〜70pぐらいにしておこうとその時は思った。それが、そこでモンスターを掛けた最
初で最後だった。そして、或る日の事、ニュージーランドで鍛えられたサイトフィッシングさながら、天気の良い昼間に土手を歩きながら、
流れの中に魚影を探していた時の事だった。いつもは全く気にならなかった物が、何故かその時は目に付いてしまった。それは、川底の
泥の上に見慣れない物が無数に散乱している物だった。10個、20個、30個。あれは何だ・・・・?更に、数百メートル上流までの間に確
認した数は数百、いや、1000個以上はあったかも知れない。その川底に散らばっている3p程の物体の正体は、何と、カニの死骸だっ
た。それも、半分にちぎれた、体半分だけのカワガニだ。そう、半分喰いちぎられた小さなカワガニの死骸が無数に川底に残されていた
のだ。そして、ハッとした!もしかしたらこれか?奴らはこれを喰っているのか?昼間は川底の石の下に隠れ、暗く
なると動きだす夜行
性のカワガニを喰っているのか?もしも、これだけ大量のカワガニを喰っているのなら、栄養価の低い水性昆虫など喰う筈も無い。そし
て、その予測の真偽を確かめる為に、釣りキャンプを決行したのは当時の私には当然の事だった。次の週、早速、仲間を連れて挑戦し
た。勿論、昼間は釣れない大物を夜中に釣り上げ、真実を確かめるのが目的だった。釣り方はどうでも良かった。取り敢えずニンフとウ
エットフライをダウンストリームで流し50p級を釣り上げる事ができた。そして、スタマックポンプでは無く、ナイフで腹を裂き胃の内容物を
調べた。結果は予想通り的中した。胃の中からカワガニの脚が3本出て来たのだ。カニの殻は消化されないので、脚がそのままの形で
腸管に並んでいた。これはフライフィッシャーとして真実を知る為に行う当然の行為なのだが、アメリカでキャッチアンドリリースを学んだ
私にとって、更には、仲間たちにキャッチアンドリリースを啓蒙して来た私にとっては、食べる目的以外で鱒を殺すのは、どうしても後味
の悪い作業である事は否めない。ただ、真実を知らずに勝手な思い込みで終わるのは、私には許せないのだ。合掌!そして、次に頭に
浮かんだのは、ボーンフィッシュ様のクラブフライ(蟹のフライ)だ。あれを使えば簡単に釣れるだろう。しかし、生態を考えれば夜釣りに
なってしまう。カニも鱒も出てこない昼間には、釣れる筈も無いのは判っていた。だから、その後も蟹フライを使って夜釣りをする事は無
かった。
フライフィッシング技術も勿論だが、ロッドメイキングに於いても最も恐れるべき事は思い込みだ。人間、誰しも年を取り、経験を積むと
頑固になり、思い込みがより激しくなる。そして、それまでの努力や苦労が大きいほど自らを肯定しようと、自分の知らない真実を受け
入れ難くなるものである。高いレベルに行く程、それは更に顕著となり、その自信過剰から起こる思い込みと、自己を正当化しようとす
る思いが足枷となって真実から大きく反れてしまう事もある。だから、それを克服してより高いレベルに向かうのであれば、時々、自らが
作り上げてきた概念を打ち壊し、新たなる真実を追求し直さなければならない。10年もの間、正しいと思っている事が、全く間違ってい
る事もある。時々は10年前の自分に立ち帰って、10年前の毛鉤を見てみよう。その時は、完璧だと思いながら繁々と見つめていた毛
鉤をだ。それが、何だこれは!これでは釣れない!と思うのか。或いは、まぁまぁ使える!と思うのか。こう思えれば少しは進歩してい
る自分がそこに居る。しかし、10年後も完璧だと思ったならば、それは、全く進歩していないか、腕が落ちているかのどちらかだ。達人
と呼ばれる人々は『 納得する遺伝子 』を持たずに生まれて来た。その脳には永遠に納得すると言う休息や終わりが無い。そして、果て
しなく考え続け、進歩し続けるのである。目から鱗を落として前へ進め!常に基本に帰って考え直し、もしかしたら、今の考えや常識は
間違っているかも知れないと常に思う事で、少しは進歩できる。達人にはなれないかも知れないが、釣れなかった魚を釣る事ができる
様になるし、更には、永く使う事ができる、より素晴らしいバンブーロッドを造る事もできると思う。
納得するな!疑え!信じ込むな!そして、考えろ!それが、進歩であり、進化だ、上達だ。納得した瞬間に全てが終わってしまうのだ
。『 釣り人よ、驕る事無かれ、それは単なる思い込みだ。そして、恐らくそれは間違っているのだから。 』
Episode 7 カバリ 1965年頃、気が付くと海釣りを始めていた。最初は竹製の延竿で3本か4本継の物だったと思う。父に買って貰っ
たのだが、当時の値段は覚えてはいない。函館港のすぐ近くに住んでいたので、毎朝、早起きして小学校への登校前に釣りをしてい
た。そして、学校が終わるとすぐに家に帰り、また竿を持って自転車を飛ばした。その頃の獲物はと言うと、小さなサバ、タナゴ、フグ、
チカ。それとシマダイと呼んでいたイシダイの子供だ。どれも5pから、大きくても20p程度の大きさだったが、当時の私にとっては嬉
しい獲物だった。しかし、獲物とは言っても、家に持ち帰って食べる程の量ではなかったし、こんな雑魚は夕食のおかずになる筈も無
かった。だから、その殆どは釣り場に屯している鴎の餌になったのだ。余りにも小さな物は海に帰したが、まぁまぁの大物は鴎達の御
馳走だったと思う。だから、私が岸壁に着くと、まだ竿を袋から出していないにも係らず、いつもの鴎達が2〜3羽が集まって来るのが
常だった。そして、私が釣りをしている間中、ずっと傍らで丸くなり御馳走をまっていた。そして、その雑魚釣りも年と共に竹竿が長くなり
5本、6本継になって行ったのは言うまでも無い。より、遠くの、より深いタナに仕掛けを入れる為だ。子供と云えども立派な釣り師なの
で、上達すると更に上を目指したくなるのは当然の事だった。そして、大人の釣りである投げ釣りに興味を持ったのは、確か小学校の
3〜4年生の頃だったと思う。当然、父に投げ釣りでカレイを釣ってみたいと言って投げ竿をねだった。当時、父は全く釣りに興味がな
かったのだが、すんなりとO.Kを出してくれたので、すぐに二人で釣り具屋に行った。そして、店主に選んでもらったのが、当時、投げ
釣りの主流だった竹製の投げ竿だった。並み継の3本継だが、穂先は黒くて柔らかいプラスチックの様な物で出来ていた。その穂先が
何で作られているのか知らなかったが、店主が言うには、クジラの髭を削り出した物だと言う事だった。そして、リールは丸くて大きな片
軸リール、そう、フライリールの様な形だが、違いはリールフットとリールが直角に曲がる事だった。つまり、キャスティングの時にリール
ろロッドと直角に曲げて投げると言うシステムだ。だが、このリールの弱点は5回のキャスティングの内、1回はラインがバックラッシュし
て出て行き、そのグチャグチャに絡んだラインを解くのに20〜30分の時間を要する事だった。時には、ラインを解いている間に魚が掛
る事さえあった。当時は日本製のグラスファイバーロッドやスピニングリールが登場し始めた頃で、とても高価だった為、一般的な道具
では無かった。つまり、子供の釣りに使う道具ではなかったのだ。しかし、ラッキーな事に1年後にはそれを手にしていた。 ただ、おぼろ
げな記憶ではあるが、NFTのグラスファイバーロッドを手に入れる前に、一時期、6角形で水色に塗装されたの6フィートぐらいの2本継
の投げ竿と小さなスピニングリールを買ってもらった記憶がある。材質もメーカーも記憶には無いが、もしかすると6角形だったので、6
角のバンブーロッドを水色に塗装したルアーロッドだったのかも知れない。ただ、当時、ルアー釣りとルアーロッドが有ったのかどうかは
記憶には無いが、外国製のルアーを見たのは覚えているので、恐らく、それらも有った筈だ。更に、その水色の六角ロッドのデビュー
戦も思い出した。そのデビューは小学生の私にとっては鮮烈なものだった。ある休みの日に父と田舎の漁港に行った時の事だ。その頃
は、タックルはまだ2セットしか無く、それを2人で使っていた。一本は例のクジラ髭トップの竹ロッドで、もう一本はこの短い水色のロッド
だ。クジラ髭の方は50メートル程キャストできたので、カレイやアイナメなど、結構な釣果を上げていた。しかし、この新登場の水色ロッ
ドでは20〜30m投げるのが精いっぱいだった。目の前にポチャリ!こんな飛距離なら、殆ど釣れる確率など無い!と思いつつ、防波
堤の上に無造作に置いていた。すると突然、先端に取り付けた鈴がけたたましい音を立てて鳴り出し、その短い六角ロッドは防波堤の
端から海に引きずり込まれそうになっていた。慌ててロッドを押さえ、すぐにリールを巻き始めたが、如何せん安物の小さなスピニング
リールだ。思う様にラインを巻き取る事が出来ない。掛かった獲物が重すぎるのか、ハンドルはガクガクと三角形を描く様にしか回せな
い。そして、やっとの事で防波堤の縁まで寄せる見ると、何と!大きな怪物が掛かっていた。それは、北海道ではカジカと呼ばれる頭の
大きな魚で、本州で言う処のカサゴに似たやつだ。だが、その細くて短い六角ロッドでは、怪物を水面からごぼう抜きする事など出来な
い。近くに居た父に大声で助けを求めると、父は傍に係留していた漁船から大きなタモ網を拝借して、何とかその怪物を掬い上げる事
が出来た。衝撃のデビューを飾ったその水色ロッドは、その後も活躍し続けたが、いつの間にか私の釣り具の中から消えていた。
6角の竹の合板と言えば、その他にもスキーのストックが思い出される。私も小さい頃からスキーをやっていたが、ストックも時代と共に
材質を変えてきた。50年以上前のストックは細い丸竹に竹製のリングと握りは皮製のグリップだった。その後、私が小学生の頃は竹を
6角に張り合わせた、まさにバンブーロッドの様なストックが登場した。少し重かったが、丸竹のストックよりは耐久性が有った。ニス仕
上げで、色も少し濃い茶色だった。恐らくこれも、硬さを増す為に焼かれていたのかも知れない。グリップから先端にかけては、釣竿ほ
どでは無いが少しテーパーも掛かっていた。まるで、7番か8番のバンブーロッドのバットセクションの様である。今思えばそれはバンブ
ーロッドその物だったのかも知れない。そして素材は時代と共に、スティール製、アルミ、ジュラルミン、カーボン製へと変遷して行った。
そう言えば、第二次大戦中にオーヴィス社がバンブーロッドの技術を活かしてスキー用の竹製の6角ストックを大量に作っていたそうだ
。恐らく軍隊にでも納入していたのだろう。更に、戦時中は物資が不足していたので、ロッドを作る仕事が出来なかったペインに、オー
ヴィス社がストック作りを手伝う様に誘ったが、ペインは断ったと言う逸話も残っている。もしかしたら、私のストックもオーヴィス製だっ
たのだろうか?
まぁ、昔はストックだけでなく、釣り竿も全て竹製だったのだから、竹竿も贅沢品と言う程では無かっただろう。但し、そ
れは丸竹で作られた簡素なロッドの場合で、レナードやペインなどの有名メーカーが作るスプリットケインロッドは一般的労働者の月収
(月$70〜80)と同程度の金額で売られていた様だ(1930年代当時の日本人の収入はアメリカの9分の一、イギリスの8分の一だった
らしい)。つまり、当時からスプリットケインのバンブーフライロッドは非常に高級な釣り道具であり、高価な材料と多くの手間を掛けて作
られたロッドは、その位の価格が妥当だったと言えるだろう。それは、グラスファイバーやカーボンファイバーが一般的になった現在も
同じで、スプリットケインバンブーロッドが高級な釣り道具である事には変わらない。だから、私もフライフィッシングと言う趣味の中で、
バンブーフライロッドは絶対使わなければならない道具だとは思っていない。フライフィッシングの技術を会得し、それで鱒釣りを楽し
むだけならばカーボンロッドで十分過ぎると思う。ただ、鱒を沢山釣り、フライフィッシングの経験を数多く積んで、釣果を必要としなく
なったその時は、カーボンロッドの数倍も高価なバンブーロッドを持つ時かも知れない。何故ならば、フライフィッシングに嵌って行くと
、カーボンロッドやリールの数がどんどん増えて行き、終いには高価なバンブーフライロッドを誂える以上の出費をしてしまう物である。
だから、ある程度、自分のフライフィッシングに納得できる時が来たら、買い過ぎたカーボンロッドの中から数本を処分し、たった1本
のバンブーフライロッドを手に入れる事をお奨めする。その1本のバンブーフライロッドはフライフィッシングの本質と、今まで知る事が
出来なかった新しい世界を教えてくれる筈である。
話が脱線したが、あのクジラの髭の投げ竿以来、私と父は海釣りに嵌って行った。勿論、クジラ髭の初戦はボウズだったが、その後
は二人で毎週、土、日の度に車で遠征した。勿論、大物をたくさん釣りたくて、最終的には船釣りもかなり熟した。そして気が付くと、い
つの間にか父もドップリと釣りに嵌っていて、私を置いて一人で釣りに行く事も多くなっていた。当然、私もその恩恵を大いに受けたが、
その恩恵とは、父が買った高価な釣り具を自由に使える事だった。つまり、それからと言う物、私が釣り道具に困る事が全く無くなった
事である。
話は変わって川釣りの話に移ろう。父と車で遠出している頃も、友達とは自転車で近くの川に出か掛けていた。もう50年近
く年も前の事だが、北海道の川にはヤマメ、イワナ、ウグイ、アユなどがウジャウジャいた。それは、今とは比べ物にならない程の魚影
の濃さだったが、私も子供だったのであまり大きいのは釣れなかった。たまにウグイの30pぐらいの奴が掛かると、折れそうになるロ
ッドを必至に握り締め、ハラハラした記憶がある。 いつもはエサにドグイ虫(イタドリ虫)やサシ(ウジ虫)を使って釣りをしていたのだが
、或る日、釣り具屋の親爺が、山女魚釣りならカバリを使ってみろと言って、厚紙でできた小さな箱を差し出した。中には小さな鉤が7
〜8本付いた、丁度サビキの様な仕掛けが入っていた。その小さな鉤には鳥の羽や動物の毛の様な物が巻かれていて、ヘッドの部分
は金色か赤に塗られていた。そして、仕掛けの端には小さな赤い丸浮きが一個付いていた。一通り、使い方のレクチャーを受けてから
、次の週に使って見る事にした。そのカバリの使い方とは、私が過去に実戦して来た海の浮き釣りとは全く逆で、錘は付けずにウキが
一番下に来ると言う、全く変な仕掛けだった。そして、それを川面に流すと、ウキが一番下流側を流れ、その上流側を毛鉤が流れると
言うシステムだ。一番下に付けられたウキの役目は、鉤を底に沈めない為の物であり、それは、フライフィッシングで言う処の水面直
下、つまりイマージャーの釣りのサビキ版だったのだ。勿論、子供ながらにその威力には驚かされた。瀬を流す度に、大きくは無いが
鉤り数だけ山女魚が釣れた。それは、まさに私とフライフィッシングの最初の出会いでもあった。そして、その20年後に衝撃の釣り、
アメリカン・ドライフライフィッシングと出会う事となったのは、私の中では必然の様な気がする。後に解かった事だが、カバリとは【
蚊
鉤 】と書き、アユやハヤ、ヤマメを釣る為の毛鉤の事だったのだ。
『 ドラゴンフライ 』、それは御存じの通りトンボの英訳である。そう、アカトンボやオニヤンマなどのトンボ類のことだ。因みにダムゼル
ニンフの『ダムゼル』は、胴体の細いイトトンボの事だ。そのドラゴンフライもまた、私のフライフィッシングに多大なる影響を与えたの
は間違いない。これも、50年近く昔の話で、私が小学生の頃の話だ。何年生だったかは忘れたが、ある年の夏休み、知人の家に1
週間程遊びに行く事になった。そこは、道南地方北部の小さな山村で、家が10件程しか無く、山村と言うよりは、寧ろ山あいの集落
と言うべき所だった。そこは、畑の中を道南有数の川が流れていて、夏休みの水遊びには事欠かない素晴らしい環境だった。また、
その川は日本一の清流にも選ばれた事がある程の水質の良さで、有名な川である。知人の家には私と同じぐらいの年齢の男の子が
2人居て、滞在中はいつも一緒に遊んだ。川で泳いだり、山に登ったり、畑に生っているイチゴやスイカをその場で食べたりもした。或
る日の午後、突然、私に尋ねてきた。「川で釣りをした事があるかい?」と。私は、既に海釣りも川釣りもしていたので、「ああ、得意だ
よ!」と答えた。まさか、ここで釣りをするとは思っていなかったので、道具は持って来なかったが、ヤッタ!ここは釣りの腕前を見せる
チャンスだ!と思い、ほくそ笑んだのは言うまでも無い。早速、釣りに行く事になったので、道具はあるの?尋ねると、竿とテグスと釣り
鉤は3人分あるよと返ってきた。一瞬、エッ!と思ったが、それ以上尋ねる事はしなかった。竿と糸と鉤?錘と浮きが無いではないか。
チョット不思議だったが、取り敢えず黙って付いて行く事にした。函館の街には、当時でも既に釣り具店が沢山在り、釣り道具なら何で
も手に入れる事ができた。しかし、この山奥には釣り具店など在る筈も無い。だから、錘と浮きは買う事が出来ないのだ。すると、彼ら
は「先ずは、餌取りだ」と言って、納屋から細い竹の棒を持ってきた。そして、「これでトンボを捕まえる」と言って私に見せたのは、網の
付いていない壊れたタモ網だった。そう、竹棒の先に針金の輪が付いているだけだ。良く見ると、それは壊れたタモ網ではなく、竹の先
に太い針金で作った輪をくっ付けた自作の物だった。ネットの無い昆虫ネットで、どうやってトンボを取るのだろう?そして、そのトンボを
どう使うのだろう?全く意味が解からなかったが、黙って見ている事にした。すると、彼らは、竹の先に付けられた針金の輪に、納屋の
軒下の角に大きく張ったオニ蜘蛛の巣を綺麗に絡みつけたのである。ビックリした私は、一瞬、声を失った。まさか!蜘蛛の巣をタモの
ネット替わりに使うのか?私の予感は的中した。しかし、これで本当にトンボが取れるのだろうか?蜘蛛の糸はすぐに切れて、蜘蛛の
巣ネットは破れるのではないだろうか?とは思った。しかし、その心配が無用だった事はすぐに証明された。彼らは、トウモロコシの先
端に止まったアキカカネに静かに蜘蛛の巣ネットを近づけ、ペタリ!と貼り付けて見せたのだ。流石に小学生の私にとって初めて見る
この光景は『目から鱗』を越えた事件だった。更に、その蜘蛛の巣ネットは小さなイナゴやバッタも数匹ゲットした。町の釣り具店に行け
ば、川釣り用の餌や、捕虫ネットなど、幾らでも手に入る私の環境とは明らかに違う、この自然環境と知恵に驚かされた。しかし、更に
私を驚かす事件がこの後、起こるのである。蜘蛛の巣ネットで捕まえた活きた昆虫を虫かごに入れ、3人は家から数十メートルの川に
向かった。釣り場に着くと、彼らの兄の方が「釣り方を教えるから、その通りやれば直ぐに釣れる」と私に言い、徐に支度を始めた。支
度と言っても、近くに生えている3メートル程の『根曲がり竹(千島笹)』を切っただけの竹竿に、鉤の付いたテグスを巻きつけてしるだ
けだ。そして、それをくるくる回して解くと、彼はその錘も浮きも付いていない、鉤だけの仕掛けに、さっき取ったばかりのトンボを一匹
付けて、水面に落とした。裏返しに落ちたトンボは、羽が水面に張り付いて身動きできないまま下流に流れて行った。そして、竿を送り
ながらダウンストリームで流がすトンボに、尺を遥かに超える大岩魚が喰い付くのに、然程、時間は掛からなかった。恐らく、トンボが水
面に落ちてから4、5秒だったと思う。大きな岩の横を通り過ぎようとしたトンボが水しぶきと共に突然、視界から消えた。彼は大きく竿を
煽り、いとも簡単に大物を釣り上げたのだ。私にとって初めて見るその光景はとても言葉で言い表す事の出来ない衝撃だった。水面を
流れる昆虫を喰わせる。私が知っていた、錘を付けて餌を沈め、浮きで当たりを取る、と言う普通の釣りとは全く別世界の釣りだった。
毛鉤と本物の昆虫との違いこそあるが、これも、私が大人になってからに知る事になる、ドライフライフィッシングの本質その物に出会
っていた事になる。それも有ってか、現代のドライフライフィッシングを初めて知った時も、然程、驚く事は無かった。それは、トラウトの
餌となる昆虫が水面を流れるのを毛鉤に置き換えるだけだったからだ。まだ子供だった事もあり、その時は、その本当の意味を知る
事は無かったが、彼に教えられた通りに、私もトンボとバッタのナチュラルドリフトで数匹の大岩魚を釣る事が出来た。それは、子供の
頃の貴重な夏休みの体験だった。しかし、不思議なのは50年も前に、それも北海道の山奥で誰がこんな釣法を伝えたのだろう。まさ
か、彼らが編み出した技でも無いと思うのだが、子供の私には誰に習ったの?と聞くような、気の利いた事はできなかった。まるで何処
かの釣りエッセイにでも出て来そうなストーリーだが、これは、紛れもなく私の実体験である。
岩魚の話と言えば他にもあるが、これも幼い頃の話だ。まだ、川釣りは始めていない、そう、海釣りを初めて間もない頃だが、小学校に
入学するので図鑑のセットを買って貰った。植物、動物、乗り物など、全20冊巻程の図鑑セットだった。その中でも特にお気に入りだっ
たのは、勿論、魚類図鑑だ。図鑑はカラー写真と魚の解説が載っていて、写真の無い物は白黒のイラストで描かれていた。そして、何
時もそれを見ては、釣った魚を探し、また、図鑑に載っている他の魚も釣りたいと思って眺めていた。今も記憶に残っているのは淡水
魚のページで、その中の岩魚の項が忘れられない。岩魚の解説の一部はこうだ。「岩魚は獰猛な魚で何でも食べる。」と言う一節があ
り、岩魚は白黒のイラストで描かれていた。そして、驚いたのはそのイラストだ。大きく開いた岩魚の口からは、蛇の尻尾が飛び出して
いて、更に、肛門からは蛇の頭が出ていた。岩魚の魚体の3倍はある蛇が丸呑みされている絵だった。どの様な意図で書かれた物な
のかは判らないが、獰猛さを強調したかったのだろう。初めはビックリしたが、子供ながらに「これは無いだろう?」「これはウソだ!」と
思った記憶がある。しかし、某、有名出版社の図鑑セットなので、著者もそれなりの学者か、どこぞの先生だろう。だから、疑いながら
も、もしかしたら著者は、その光景に出くわした事が有るのかも知れないとほんの少し思った。しかし、それから数十年、岩魚天国、北
海道で数千匹の岩魚を釣って来た私でも、岩魚が自分の体よりも遥かに大きな蛇を呑み込んでいる場面に遭遇した事は無い。まして
や口から尻尾がはみ出していて、更には肛門から蛇の頭を出したまま泳いでいる岩魚などあり得る筈が無い。今の時代ではあり得な
いオカルト的な内容の学習図鑑だが、昔は、それもO.Kだったのが、ある意味微笑ましい。昭和の懐かしい時代を思い出させてくれ
る、滑稽な記憶でもある。ただし、この先それに出会う事が全く無いとは言い切れないし、ほんの少しではあるが、その光景との遭遇
を願っている自分もいる。
ロッドをオーダー頂いたお客様に、ささやかではありますが、 Hexastyle Catch & Release Mug のお好きな色 熱いコーヒーでも飲みながらフライを巻いたり、或いはロッドやリールの手入れをしながら次回の釣行に思いを馳せて。 2015年、Hexastyle Bamboo Rod から『ダブルプレゼント』!ヘキサスタイル・オリジナルロゴキャップ(左写真内) 黒かアイボリーのいずれか1つをプレゼント!さぁ!Hexastyleオリジナルキャップを被って釣り場へGO! |
Episode 8 バランス バンブーロッドにはクラシックリールが良く似合う。勿論、見た目の事ではあるのだが。しかし、それだけでは無いと
ころが面白い。クラシックリールが重いのは、100年前に今の様な軽い金属が無かったからではない。それはバランスの為であり、竹製
のロッド重量に合わせればあの重さになる。ここ20年ほどで、カーボンロッドとリールの重量は更に軽量化されて来たが、まずロッドが新
素材の発明により軽量化され、それを追う様にリールが軽量化されて来た。しかし、現在はリールの軽量化ブームが行き過ぎて、超軽量
のハイモデュラスカーボンロッドでさえ持ち重りする程リールが軽くなってしまった。その為、今時の軽量リールをバンブ
ーロッドに付ける
と尻軽の頭でっかちになってしまい、余計にロッドが重く感じられてしまう。最新の軽量リールはロッド重量を選んで使うべきであり、バン
ブーロッドには特にミスマッチである。最新のタックルで揃えると、どうしても頭でっかちの尻軽になってしまうので、ロッドが持ち重りしない
程度に重量のあるリールを使いバランスを取る事が賢明だ。特にフライキャスティングの場合はラインのループやスピード、タイミングを
より感じ易くする為に、ニュートラルな重量バランスが良いと思う。リールが軽すぎるとロッドが重く感じるし、逆にリールが重過ぎるとロッド
が軽く感じられる。その様な状態ではキャスティング中のロッドの曲がりを感じ取るのが難しくなり、特に後者の状態ではキャスティング時
に必要以上の負荷をロッドに掛けてしまう可能性が高くなる。また、ロッドとリールのバランスに関しては、それらの総重量ではなく、セット
した状態で重心がどこに来るかが重要だ。例えば、サムオントップでグリップを握り、丁度、親指と人差し指が挟む所に重心が来れば理
想的だろう。つまり、その部分を人差し指1本で支え、弥次郎兵衛の様になれば重心はそこにある事になる。勿論、ラインを巻いた状態
でのバランスである。だから、私がリールを選ぶ時はデザインよりも、寧ろロッドとのバランスを重視して、ロッドの長さや重量に合わせる
。その方が持ち重りしないので、疲れずに長時間の使用でも手首を痛める事が無くなる。重量バランスの取れたタックルをしっかり握り、
腕全体を使ってキャストする事が望ましい。そして、何よりキャスティングが正確になる。できれば、3番、4番、5番、6番とシステムが変
わっても、重心が同じ所に来る様なバランスのリールを合わせたい。フライリールとはラインが邪魔にならない様に巻き留めて置くのと、
重量バランスをとる為の物であり、鱒とのやり取りをするのがメインでは無い。ソルトウォーターの大物や大きな鮭類は別にして、トラウト
と呼べるレベルの鱒ならば、クリックリールとサミング・ドラグで十分である。昔は、物珍しさも手伝ってアメリカ製のディスクドラグ付きの
リールを挙って買ったものだが、今ではそれらを使う事は無くなった。クリック・ドラグをバックラッシュさせるほどの魚でなければディスク
ブレーキは意味を成さないのだ。フライフィッシングのシステムではリールをグリップの下に取り付けたアイディア自体がフライリールはカ
ウンターバランスのウェイトである事を意味している。何故ならば、もしそうでなければ他の釣り道具と同じく、リールがグリップの前(上)
に付いている筈ある。例えば、イギリスの古い時代のバンブーロッドにはカープロッドと呼ばれる鯉釣りのロッドが多くあるが、それらは
餌、錘
、浮、を付けてキャストし、置き竿にして当りを待つ釣りである。その為、リールはフライフィッシング以外の他の釣り竿と同じ構造
で、グリップの前にリールが付いている。つまり、リールがロッドの最下部であるバットエンドに付けられているのはフライフィッシング独特
の特徴である、ロッドを置き竿にしない、或いは、常に振り続けると言う、その独特のフィッシングスタイルが作り出した構造なのである。
更に、常にロッドを振り続けるフライフィッシングでは、タックルの持ち重り感や重心の位置が重要になるので、このロッドとリールの位置
関係や重量バランスが腕の疲れを軽減しているのである。因みに、ロッドを置き竿にする釣りの場合は、リールの重量が重くても軽くても
、その釣り自体には全く影響を与えない。つまり、リールの重量が重要な意味を持つのは、フライフィッシングだけなのである。また、ルア
ーフィッシングの場合は、リールでラインをリトリーブする為、最も重いリールは直接手の中に有る方が軽く感じられ、手首の疲れを軽減す
るからである。
蛇足になるが、バンブーロッドに良く似合うクラシックスタイルのレイズドピラーリールは、元々、機械工だったジム・ペインの父、E.F Payne
が最初にデザインしたものらしい。ペインはロッドを製作する以前、それらのフライリールやフェルール、リールシートなどの金属パーツを
オーヴィス社などに納入していた金属加工メーカーだった。その後、ペインはバンブーロッドメーカーを立ち上げたので、ボンホフがその後
を継いでフライリールメーカーとなった。よく、バンブーロッドは重くて疲れるとか、逆に一日振っても疲れない軽いロッド、などの表現を目に
する事もあるが、私は3、4、5番のバンブーロッドを重いと感じた事は無い。ロッドとリールの重量バランスが合っていれば、そのシステム
は然程重く感じ無い物だ。それに、多少の重さから来る軽い腕の筋肉痛はフライシッシングの心地良さだし、運良く大物を何匹も仕留めた
後の腕の痛みは快感ですらある。元来、フライフィッシングはイギリスやアメリカの屈強な将校達や軍人たちが好んだ釣りであり、彼らが日
常手にしていたハンティングの猟銃に比べれば、バンブーロッドの重さなどは割り箸を持つような物である。私も猟銃を持って山を歩いた事
があるが、その重さは想像以上の物で、テレビや映画で見るように軽く取り回しなどできる物では無い。まさに、ショットガンの2本の銃身は
、それが鋼鉄の塊である事を納得させる重さがある。そんな男達のアウトドア・スポーツであるフライフィッシングにとって必要以上の軽量化
は然程、重要な事では無い。だから、バンブーロッドにも、時として大物を釣り上げる為のパワーと耐久性は必要だが、それらを犠牲にして
まで無闇に軽量化するのは無意味であり、寧ろマイナス要素の方が大きくなる。つまり、強度と耐久性、重さとのバランスをどの辺で納得さ
せるかが重要なのである。
そう言えば、いつからカーボンロッドを使っていないのだろうか?多分、最後に振ったのは98年のアメリカだったと思う。今は2013だから
、何と15年もカーボンロッドを使っていなかった。それは、グラファイトを使いたくなかった訳ではなく、ただ単にバンブーロッドのフィールド
テストばかりしていたからだ。バンブーロッドを擁護する様な内容の文章が多くなりがちだが、別に自分が造っているからと言ってバンブー
ロッドオンリーな訳では無い。今でも高性能のカーボンロッドは好きだし、あの圧倒的なパワーには惚れ惚れさせられる。特に7番や8番ロ
ッドは、ラインがロケットの様に飛んで行く。何処までも飛んで行きそうなあのラインスピードは爽快の一言に尽きる。15年ぶりにカーボン
ロッドでも振ってみるか?と想像する。まずは、リールから8番WFを全部引き出して足元に置き、2回のバックキャストでシュートだ!ライン
はロケットの様に飛んで行き、最後にリールをギッ!と鳴らしてバッキングを少し引き出す・・・・・。しかし、今の自分にはこのキャスティング
イメージだけで十分だ!多分、腕はそれ程落ちてはいないだろう。恐らく、イメージの様に飛んで行くはずだ・・・・・。そして、またカーボンロ
ッドから遠ざかる。ひょっとしたら、この先、もう永遠に振る事は無いかも知れない。しかし、それもまたいいだろう。あれだけやったのだか
ら、もう必要ないのかも知れない。今はもう、大きなブラウン鱒もレインボー鱒もサーモンもいらない。まぁまぁの山女魚と岩魚で十分だ!
ターゲットは全て15ヤード以内だ!だから大袈裟なタックルも、もう必要はない!
と思えるのは、恐らく今の私の中のバランスが、細い竹
竿と小さな鱒で丁度、吊り合っているからなのだろう。だから高性能な Weapon はこの先も登場する事が無い様な気がする。
1995 SanJuan River - Texas Hole
Abe's FlyShop&Motel のオーナー、ティム・チャベスとH.L Leonard 39ACM とHuge Rainbow 23inch と私。
Episode 9 Night Mousing 当時、アメリカから数冊の雑誌(月刊誌)を取り寄せていた。U.S Flyfisherman, Field & Stream, Fly Tying,
Salmon Trout Steelhead, Flyfishing &Tying Journal,等々。何種類だったかは忘れたが、毎月それらの雑誌を取り寄せて読み漁って
いた。それは、新しい情報を必要としていたのと、真実を知る事が目的だった。80年代の日本では、フライフィッシングの情報がまだ
少なかった事もあり。本場、アメリカの専門誌から直接、真実を手に入れようと思っていたのだ。当時、日本に紹介されていた情報が
眉唾だとか、間違っているとかではなく、どうせ勉強するならは、回り道をしたくなかっただけだ。それに。当時は、英国系のウェットフ
ライ・ダウンストリームの釣りが中心で、特に、ドライフライの釣りに関する情報は、まだ少なかった様に思う。そして、それらの雑誌を
読んでいる内に、チョット変わった記事を見つけた。フライフィッシングの本は沢山読んで来たが、それは、初めて見る言葉だった。
『Night Mousing』?ナイトマウスィングって何だ?文章を読に進めると、トラウトの夜釣りについての記事である事が判った。夜釣り?
それは、ミネソタ州か何処かの記事だったと思うが、通常、殆どの州でのトラウトフィッシングのレギュレーションは夜釣りが禁止され
ていたと思う。州によって法律は違うのだが、キャッツキルやイエローストーンも釣りができる時間帯は、確か、日の出から日没まで
の太陽の出ている間だけだったと思う。だが、その記事には、大きなブラウントラウトを釣るのは夜だ、と書かれていた。魚食性の大
きな鱒は夜行性であり、日没後に流れの緩やかな大きなプールのテイルアウトをクルージングしている。そして、真っ暗闇の中、小魚
や大きな昆虫、更には、
野ネズミなどの小動物も食べていると書かれていた。確かに、蛾や甲虫などの大きな昆虫は夜行性である
。その中でも、この記事は巨大なブラウントラウト(25インチ以上)を野ネズミで釣ると言う内容だった。つまり、バス・フィッシング用の
マウスフライを使って釣るテクニックなので、筆者はマウスィングと書いたのである。私はまさかとは思ったが、すぐさま、頭の中には
近くのダム湖に生息する、大きなブラウントラウトを思い出し、これはいけるかも知れないと思った。普段はドライフライで大きなブラ
ウンが釣れる事で知られている場所だ。以前、ボートからのドライフライの釣りで、イブニングだけで40〜50pのブラウントラウトを
12〜13尾釣った事もある。だが、もっと大きな奴が居るのは判っていた。ルアーで70p級が釣られた事も知っていた。早速、巨大
ブラウン用のマウスフライを巻いた。2/0 と 1/0 番の大きなサーモンフックに黒のエルクヘアーでマウスフライを巻いた。尻尾は細め
の黒のゾンカーで決めた。キャスティングを考え、バス用のマウスフライより少し軽めに小さく巻いたが、全長は尻尾を含め約10p
はあり、マウスの感じはそれなりに出ていた。しかし、誰も知らない釣りなので、取り敢えず仲間に教える前に1人でテストする事にし
た。本当に夜の暗闇で大きなブラウンが釣れるのかどうか試す必要があったからだ。そう言えば、昔行った釣りキャンプで、夜中の
12時過ぎに40cmオーバーのレインボーを釣った事を思い出した。夜中に目が覚めてしまったが、寝付けなかったので、暇つぶし
に一人、テントを出てカディスフライをダウンストリームで流していた。すると真っ暗な中、バシャッ!と音を立てて何かがフライにアタ
ックして来た。上手くフッキングしたので、真夜中にも拘らず、おーい!釣れたぞ〜!とテントに向かって叫び、皆を叩き起こした。テ
ントから眠い目を擦りながら出てきた仲間たちは、夜中でも釣れるんだーと言いながら、皆は寝呆けながらではあるが、ロッドを握っ
て釣り始めた。それも真夜中にだ!ナイトマウシングの話に戻ろう。そうだ、テストだ!先ずは一人で行かなければならない。夕方、
ダムに着き、イブニングで時間を潰しながらカディスで2〜3尾釣った。そして、いよいよ日が暮れて暗くなってきたので、ロッドを9フ
ィート8番に替え、マウスフライを結んだ。準備完了だ!ライズも無くなり、真っ暗になったダムの水面は静まり帰っていた。何も見え
ないが、取り敢えずラインを15ヤードほど出してキャストした。そして、イメージ通り、リトリーブする。それは、野ネズミが水面を静か
に泳ぐイメージでは無く、溺れてチャポチャポと騒いでいるイメージだ。真っ暗な中、音でもアピールできるように、小さく5pづつ、1
回、2回、そして、3回目を思い切り強く10p程引く。フライが水面でチャポン!と大きな音を立てるようにリトリーブした。全く何も見え
ないが、マウスフライの立てる水音で位置を知る事は出来た。なるべくフライの位置を正確に知る為に、ツー!ツー!チャポン!の
3回目を強く引くのを繰り返した。すると、それは突然やって来た。5、6投目のリトリーブだったと思うが、3回目のチャポン!の後に
いきなりジャボン!と言う大きな音が聞こえた。いや、それはジャボン!では無く、ジャボジャボジャボ!だったかもしれない。兎に角
激しい音だった。真っ暗な静寂の中に突然の大きな音だ。私は何も見えない暗闇で思い切りロッド立てた。8番のカーボンロッドが折
れるかも知れない程の合わせをくれてやった。それは、物音1つ聞こえない無音のダムサイトで、心臓が口から飛び出すかと思うくら
いの強烈なアタックだったのと、ごつくて、太いサーモン用のフックを、巨大鱒の口に完全に突き刺す為だった。マウスフライのフック
は上手く鱒の口を貫通し、強烈な引きが手元に伝わってきた。何も見えない世界でのファイトだ。真っ暗な中で、何かが私のロッドを
グイグイ引っ張っている感覚。それは、とても異様で不気味な感覚だった。そして、キャッチ出来たのは55cmの立派なブラウントラ
ウトだった。やっぱり本当だった。ナイトマウスィング!とんでもない世界だ。こんなフライフィッシングがあったなんて。その時の私の
率直な感想だ。その日は2時間程でもう1尾キャッチした。早速、次の日、この事を皆に教え、今度は皆で行く事になった。結局、私
の家から車で1時間以内の近場にブラウンの居るダムが2ヶ所あるので、両方とも攻めてみた。結果はどちらも釣れたし、最高で6
8pのブラウントラウトをキャッチした。月明かりだけを頼りに、暗闇で行うナイトマウシングはフライフィッシングと言うより、まさにハ
ンティングと呼ぶに相応しい遊びだ。確かにフライフィシングの世界では邪道かも知れないが、良し悪しは別として、これはまさしく、
トラウトの習性を熟知した特別な釣り方なのは確かだ。但し、これらのダムにはブラウンの他に大きなレインボートラウトも居るのだ
が、ナイトマウスィングではレインボーは釣る事ができなかった。もう15年以上Night Mousing はやっていないが、それは、もうトロフ
ィーサイズを必要としていないからのかも知れない。
Episode 10 幻の渓 今でもまだ在るのだろうか?私の知る限り、少なくとも20年前までは桃源郷は実在した。自家から車で一時
間程の所にある小さな川、そして、その川の小さな支流、それがまさしく桃源郷と呼ぶに相応しい流れだった。なぜ、過去形なのだろ
う・・・?アルカディア、パラダイス、ユートピアなどと称される天国と呼ばれるものは、この世では永遠ではない。突然、釣り人の前に
現れ、気が付いた時には蜃気楼のように消えている。だが、それらが消えるのは自然に消滅して行くのでは無く、釣り人、自らが消し
てしまうのだ。
私がその桃源郷の存在を知ったのは30年以上前の事で、それは、私の師から特別に教えられた秘密の流れだった。
当時、その流れには、私と師の他に餌釣り師が1人、教えられてから数シーズンの間は、年間に3人しか入らない特別な場所であっ
た。何故、私と師の他に餌釣り師が1人の3人だけだと判るかと言うと、川に残る足跡で、履いている靴の種類が判るからである。私
達は、当時まだ珍しいフェルト底のウェーディングシューズを履いていたので、その無印の足跡が自分の物だと判るのである。更に、
ポイントへのアプローチ方法やキャストする立ち位置などの特徴からも、自分の足跡である事が判別できる。つまり、前の週に自分
達が残した物でも判るのだ。そして、川原の狭い砂場に残っていた、もう1人分の足跡は、当時の餌釣り師がよく履いていた、「とくな
が」と呼ばれる、腿までの長さのゴム長靴だ。その足跡にはギザギザのソールの模様が残るので、我々には、すぐに判った。そして、
その模様が1種類である事から、1人の餌釣り師だと想像できた。私は、その年、シーズン通して、恐らく20回以上は行っただろうが
、その結果として、そのシーズンには3人しか入渓していない事が判ったのだ。
師は確認こそ、してはいなかったが、我々以外のその
足跡は、彼の昔の釣り仲間だろうと予測していた。その渓は非常に判り辛い場所に在り、誰かに連れて行ってもらわらなければ、と
ても行く事が出来ない場所にあった。川への道程は、一般の道路地図どころか国土地理院の地形図にも載ってはいない。何故なら
ば、我々がそこに行くために使った道は、一般林道では無く、森林伐採のための臨時の道路だったからだ。それは、ブルドーザー
で切り開いただけの、細くて粗末な簡易的な物だった。そして、それは、数年で樹木や草が生えるので、数年で道が消えて無くなっ
てしまう様な特別なルートだった。事実、私がそこに通い始めて5年目頃には、道の真ん中にも樹木が生い茂り、殆ど通行出来なく
なり、道があった痕跡すら消えようとしていた。聞いたところによると、現在は全くアクセス不能の様だ。また、その流れでは、とある
場所を見れば、何人の釣
り人が入ったかが判る様になっている。その場所とは、途中にある落差2〜3メートルの小さく緩やかな滝
だ。そこを登って上流に釣り上がるには、斜面に倒れ込んでいる太い倒木の上を通らなければならない。階段代わりのその倒木は
、育つのに数十年はかかるであろう、ぶ厚い苔に覆われているので、そこを人が通れば苔が剥げて落ちて、何人通ったかが判る仕
組みになっている。それはまるで、パラダイスへの通行手形の様なものだ。
桃源郷と呼ばれる物が全て消え去って行くのは何故のだろう?恐らく、パラダイスを破壊してしまうのは、釣り人自身である。即ち、釣
り人が人間らしさを見せる事が破壊の原因だと思える。勿論、私も例に洩れず、多くパラダイスを壊して来た。師が私に桃源郷を教え
たように、私も弟子達をそこに連れて行った。人は、ごく親しい誰かに秘密を教える時には、必ず『他言無用』と忠告して教えるものだ
。しかし、教えられた者は、その秘密の価値が大きい程、すぐに他言したくなる物である。勿論、他言無用を付け加えるのは忘れない。
価値のある秘密を教える事は、教える側も優越感に浸れるし、また、教わる側も宝物を貰ったようで嬉しい物だ。要するに、ここから
『他言無用』の連鎖とパラダイスの崩壊が始まるのだ。私自身もその流れを自分の中で断ち切る事が出来ていれば、今でもそれらの
桃源郷は存在したかも知れない。ただ、それが出来ないのが釣り師の性であり、釣りと言う遊びの宿命なのだと思う。釣り師と言う物
は、一人前になれば必ず弟子を持つ。そして、その弟子はまた弟子を持つ、そして、弟子の弟子の弟子と言う様にマルチに増えて行
き、何年か後には桃源郷もポピュラーな流れになってしまうのは必然であろう。全ての釣り人が一匹狼ならば、山奥でひっそりと暮らす
岩魚たちが、偽物の虫を食わされる事も無い。だが、群れたがるのも、また釣り人だ。ただし、情報は共有されてこそ価値がある、と言
う考え方もあるので、釣りと言う遊びに於いても、喜びや幸せを分かち合うのが良い事だとすれば、桃源郷が消滅して行くのも、寧ろ歓
迎されるべき事なのかも知れない。それに、誰か連鎖を断ち切ったとしても、他の人が偶然見つける場合もあり、その連鎖を止める事
は事実上、不可能である。唯一の救いは、キャッチ・アンド・リリースがパラダイスを守ってくれるかも知れないと言う事だ。
釣りの世界の弟子と言うのは、師匠が自ら弟子を取るのではなく、習った人間が、教えた人間を勝手に師と仰ぎ、師匠と呼んでいる場
合が多い。つまり、師匠とは自分に釣りを教えた人、知識や技術が自分より上回っている人の事である。勿論、年齢は関係なく、年下
の師匠と言うのも存在する。技術的にも奥が深く、キャッチ・アンド・リリースと言う新しい考え方や思想を生んだフライフィッシングは、
欧米に於いても、宗教に例えられる事が多い。だから、フライフィッシングの場合は、師匠では無く、教祖と表現した方が良いのかも知
れない。テクニック、知識、考え方など、フライフィッシングはどれを取っても限りなく奥が深く、教わる者に多大な影響を与えてしまう。そ
れは、学んだ人間のライフスタイル、或いは、人生観までも変えてしまう力を持っていると言えるだろう。
それでは、私の師の事を少し紹介する事にしよう。彼は私の学生時代からの友人で、年は一つ上である。偶然、十数年ぶりに彼と再会
し、偶々釣りの話になった。「今でも、山、行っているのか?」。彼の永いキャリアは、山女魚の餌釣りが専門で、達人と呼べる程の腕前
を持っていた。しかし、私と最後に釣行を供にした時は、確か、餌釣りだけでは無く、ルアーでも釣っていたような記憶もある。それに、テ
ンカラも始めたと言っていた。その当時の私は、長年やって来たルアーのほか、フライフィッシングも始めた頃で、釣行する相手によって
、釣法を変えている時代だった。だから、その再会の時に、互いにフライフィッシングを始めている事を知り、話が盛り上がったのは当然
で、いつの間にかフライフィッシャーになっていた二人が一緒に釣りに行く話はすぐに纏まった。当時は、まだ、スタンダードフライが主流
で、私が巻いていたフライもアダムスやケイヒル、ロイヤルコーチマンなどだが、新しいところではリーウルフのウルフスタイルやハンピー
なども使っていた。二人が目指したのは、昔行った懐かしい川で、二人でポイントを交互に攻めながら、お互いが知るフライフィッシング
のテクニックを披露し合った。そして、ある小さな堰堤に差し掛かった時の事である。その堰堤の小さな滝壺は、既に土砂ですっかり埋
もれていて、水深は殆どなかった。多分、深い所で20p位だろうか、プールと呼べる様な水溜りは全くといっていい程、無くなっていた。
更に、落ち込みから流れ出しまでは50p程しか無く、まるで子供用のビニールプールにキャストする様な物だった。水面は殆ど白泡ば
かりで、フライを流すエリアは全く無い状態だ。通常ならば、こんなポイントはパスする場所なのだが、突然、彼が、ここにも尺は居るだ
ろうと言って、フライを白泡の中にポトリ!と落とした。勿論、キャスティングする様な大きなポイントではなく、まさに提灯釣りだ。私はま
さかと思いつつ、黙って見ていたのだが、僅か10〜20p程度、2秒程しかフライを流せない場所を、彼は続けて10回はフライを流し
た。そして一言、「そろそろ出るな!」と言うか言わない内に事件は起こった。この程度の場所ならば、5p〜10pのチビ岩魚が1匹で
も隠れていればラッキーだろうと思っていた。しかし、次の瞬間、私が見せられた光景は目を疑う物だった。彼が流していたのは、見た
事も無い、訳の分からないフライで、私のアメリカンドライフライフィッシングの知識・経験の中には全く無い、変ったフライだった。3p程
の大きな白いウイングが2枚そそり立ち、テールも何も無い巨大なフライが、まるで紋白蝶が水面に居るように浮いている。差し詰めホ
ワイトバタフライとでも呼んだ方がいいのか!テンカラ釣りでは、こんな毛鉤を使うのか?と思いながらも、黙ってそれを見ていた。そし
て、その紋白蝶が水深1p程の流れ出しに差し掛かった瞬間、それは起こったのである。フライのフックが浅瀬の砂利に引っかった状
態で止まり、約3秒が経過した頃、突然、その小さな落ち込みの泡の中から大きな影が紋白蝶に襲い掛かったのだ。フライが留まって
いる場所は水深1〜2pで、殆ど川原の砂利の上だ。しかし、その影は尺以上、そして、その体の半分以上を水面から出しながら、砂
利の上に乗り上げる様に突進してフライを咥えたのだ。蛇が蛙を襲ったのかと思えるその景色。彼が合わせた時には、既に勢い余っ
た岩魚がフライを咥えたまま河原の砂利の上を転げ廻っていた。出ない魚を引きずり出す、釣れない魚を釣る、彼の釣りに対する執
念、知識、経験、野生の感。いい物を見せて貰った。私が師と仰ぐ彼は、私のフライフィッシングの先生では無い。寧ろ、フライフィッシ
ングだけで言うなら、アメリカ仕込みの私の方が上であると思う。しかし、師の師たる所以はそんな事では無い。私よりも遥かに自然を
深く知り、山の事を良く知っている事だ。つまり、彼の経験の豊かさである。木や草花、キノコ、などの植物。キツネやタヌキ、鹿や熊な
ど動物の生態など。釣り以外の色々な事を教わった。特に、草むらや、道端の植物を観察する目は確かな物だ。突然、立ち止まり、「
これは○○○と言う植物で、この時期の熊の好物だ!」。彼はその植物の根元が、何らかの動物によって喰われた状態を観察し、こ
れは、ヒグマが喰った跡だと教えてくれた。そして、「これは今日喰った物では無い」。彼は、その噛み跡の茶色く腐った状態から、いつ
頃食べた物なのかを分析する。「これは、多分3.4日前の物だ!だから、今はこの近くにはいないだろう」と言って釣りを始める。これ
らの観察眼は慣れれば然程、難しい事では無い。山奥の林道を走る車の中からでも発見出来る様になる。こらの観察眼は、私の中に
しっかりと受け継がれ、私を危険から守ってくれているのは有り難い事だ。勿論、私もこれらのテクニックを何人かに教えて来たのは言
うまでも無い。そして師は、ただの山男ではない。時期が来れば、海釣りにも出かける。特に、磯からのヤリイカ釣りが好きで、何度か
同行した事もある。毎年、季節毎に、或いは月毎に遊び場が変わるのである。そんな訳で、私の記憶に残る、師の語録を紹介しよう。
『川が死んだ。生き返るには2年はかかる』、これは、大雨の大増水で川が氾濫した後の彼の口癖である。意味は、増水した泥水で川
底が洗われ、水棲昆虫が砂利ごと全て流されてしまった、川底には何もいない状態を指している。増水が収まった後は、綺麗な水と苔
一つ生えていない綺麗な川石が残るだけだ。そのクリアーな流れからは、全く生命の匂いを感じ取る事が出来ないのである。つまり、
鱒達の餌が殆ど無くなるので、下流に吹き飛ばされてしまった鱒達も暫くは元に戻って来ないので、釣りにならないと言う意味である。
『殺気を消せ!動かざる事、岩の如く、幹の如く、そして、竿は風に揺れる枝の如く』、自然と同化する事は釣りの極意ではあるが、フ
ライフィッシングにも当然、当て嵌る。静かにストーキングして、ターゲットに近づくのは基本だが、更に、殺気を消せと言うのだ。ここで
言う殺気とは、釣ってやる!と言う釣り師の逸る気持ちを抑えろと言う意味なのだが、問題は、釣り師の焦る心と力みだけではない。ロ
ッドからも殺気を消し、ラインやフライからも殺気を消さなければならないのだ。つまり、無の境地である。忍者かっ!そうだ忍者だ!そ
して、或る時は岩になり、また或る時は木に成済ます。そして、ロッドは風に靡く木の枝の様にゆっくりと動いていれば、鱒には覚られ
ないと言う事だ。まさに、バンブーロッドのキャスティングに相応しいロッドの動きである。言い換えればスローアクションのキャスティン
グスピードだ。但し、バックキャストは1回で、ポイントには一発でフライを撃ち込まなけらばならない。それが出来れば、多すぎるフォル
スキャストで、テールアウト(プールの流れ出し)に潜む岩魚に逃げられ、そのポイント全体をダメにするマヌケな失敗も無くなるだろう。
風の或る日も、鱒は木の枝の動きで逃げ出すことはない。つまり、ロッドも木の枝の様な動きであれば、鱒は逃げないだろう。
また、話が反れてしまったが、ついでに蛇足をもう1つ。『北海道のレインボーはジンギスカンがお好き!?』これも、師の体験談なの
だが、勿論、真実である。昔、北海道の東部に大型のレインボーを狙って釣行していた頃の話だが、その日も数人の夕食に相応しい
大きな虹鱒を狙って、キャンプ場の下流部を釣り上がっていた。昔は釣りとキャンプが一体となっていて、釣った獲物を1匹、2匹キー
プして食べると言うのが釣りキャンプの習わしだった。その上での資源保護、ターゲット保全の為のキャッチアンドリリースと言う概念
があるのであって、いきなり、今の自然保護の様な闇雲なキャッチアンドリリースがあるのでは無かった。そして、いつも通り大きな獲
物をゲットした師は、まず何を食べているかを調査する為、調理の前に大きく膨らんだ胃の内容物を調べた。胃にナイフ入れ、中か
ら出て来た物は何と!一同愕然!それは、茶色と白の物体、直径4〜5pの半円形の物体であった。これは一体何んだ?茶色い部
分に飾り包丁、あれっ!これは半分に切った椎茸だ!それも2個!何で鱒が椎茸を喰っているの?恐らくそれは、上流のキャンプ場
から流れて来たジンギスカンの残飯だろう。今程、環境保全が叫ばれていなかった当時は、キャンプの食器や鍋は川で洗われ、多少
の残飯は川に捨てられていた時代だ。それは、その時、下流に流れたジンギスカンの残りの椎茸だった事は明白だ。しかし、何故椎
茸を2個も食べていたのだろうか?鱒は、天然のキノコが山から流出すれば食べるのだろうか?恐らく、その椎茸は間違って食べら
れたに違いない。絶対とは言えないが、鱒類には滅多に流れて来る事の無いキノコを喰う食性は無いだろう。つまり、一般常識として
はあり得ない事なのだ。では、何と間違って喰ったのだろう?色々考えてはみたが真実は判り得ない。予測の域は出ないが、恐らく
は水に浮く椎茸が大きな甲虫に見えた?更に、大きさから言ってクワガタのメスか何かに見えたのだろうと言うのが結論だ。決してジ
ンギスカンの、それも椎茸が大好きで食べた訳では無いと思うのだが・・・・・。鱒に聞かなきゃ判らない!
私も、もう15年以上その桃源郷には行っていない。その理由は、ある時、初対面のフライフ
ィッシャーが、突然その流れの事を私に
語ったからだ。私は驚きを隠せなかった。この人は何故あんな場所を知っているのだろう。しかし、すぐにその理由を予測する事はで
きた。恐らく自分が教えた誰かから廻り回って、この人までたどり着いたのだろうと。何故
フライフィッシャーと言う言葉を使ったかと言
うと、そこは通常、フライフィッシャーが行く可能性が殆ど無い場所で、万に一つあるとすれば、それは源流専門の餌釣り師だけだと思
う。だから、そのフライフィッシャーが知っていると言う事は、私の周りの誰かが彼を連れて行ったのだろう。だが、私は彼に誰と行った
のですか?と確かめる事もしなかった。少しショックだったが、何れはこうなる事は予測していたし、恐らく、この人も私が教えた人の弟
子なのだろうと思ったからだ。
桃源郷は人を寄せ付けない源流域にあり、入渓地点には大きな滝がある。そして、滝のすぐ横の7〜8
mはある垂直な崖をロープを使って登らなければ行けない所で、ロッドを折ってしまう可能性もあるからだ。しかし、今は延べ人数にし
て年間、20〜30人が入渓しているだろう事は容易に想像できる。あの倒木の橋を覆っている分厚い苔はもう剥げ落ちて無いだろう。
恐らく、魚はリリースされているだろうから、魚は今でも沢山居るとは思うが、あの奥地まで行って先行者にがっかりするのも気が進ま
ないのが行かない理由である。それでは、真実の桃源郷にご案内するとしよう。崖に生える木を足場に、ロープを使って滝の上に出る
と、そこは大きな一枚岩の岩盤だ。すぐ目の前には、岩盤が石の回転でくり抜かれた丸い穴がある。その直径は3メートル、深さ1.5m
ぐらいのプールだ。しかし、迂闊に近づいてはいけない。行き成りそのプールには25〜30cmの中型の天然岩魚が5匹ほど見る事が
できるのだ。渓は全体が殆ど岩盤で出来たハコになっていて、砂や砂利、小石などはで出来た砂場は殆ど無い。果てしなく、小さな滝
とプールが階段状に連続し、各プールには25〜35cmの岩魚がコンスタントに5、6匹は入っている。偶に現れる、直径5〜10mの大
きなプールには20匹以上の岩魚がストックされていて、中には40pの大物も数匹混じる。まるで、小さな釣堀が200〜300個も連続
しているような、それが、最源流まで延々と続く、そんな渓である。勿論、空腹の天然岩魚達は毛鉤を選り好みする事はない。常に、14
〜16番のカディスで十分である。メイフライや他のパターンでも良いが、流れが速いので、浮力があり、見易い毛鉤がベストなのだ。た
だ、あまりにも釣れ過ぎるので、フライが濡れるのと、壊れるので、消耗は激しい。だから、毛鉤は沢山持って行くに越した事はない。言
い忘れたが、最初に登る大きな滝の滝壺は直径10m以上あり、深さは2m程あると思われる。過去にその滝壺だけで、一気に20〜
30匹キャッチした事もあるが、それでも滝壺は只のウォーミングアップでしか無い。そこに何匹いるかは判らないが、チビまで全部釣
ろうと思えば何時間掛かるか判らない。いつも時間がもったいないので、滝壺での釣りはそこそこに、目的の滝上に行く事にしている。
因みに、この渓には5〜10cmの小さな物は殆どいない。多分、エサの少ない源流域の事だから、共食いで喰われるか、プールから
弾き出されて下流に落ちて行くのだろう・・・。そして、滝の上流はと言えば、もう入れ喰いの連続である。魚が濃すぎて中々次のポイン
トに進む事が出来ない。入れ喰いだから時間が掛かるし、口のヌメリでフライも浮かなくなる。だが、フライを乾かすのも、チェンジする
のも面倒になり、終いには、濡れたままの浮かないカディスで水面を引っ張っても、彼らはそれをひったくる。これが、パラダイスと言う
物だ!これが桃源郷だ!そして、その透明な流れは、全てのプールでサイトフッシングを可能にする。天然のスレていない魚達は水面
下20cmの中層の流れに並んで定位している。そして上流から流れてくる物は何でも捕食対象にしている。その5隻並んだ潜水艦は代
わる代わる浮上して、私のフライを順番に咥えて行く。彼らは警戒心の欠片も持っていない様で、殆ど全部が釣れてしまう。
恐らく滝か
ら源流域までは2〜3km程度だと思うが、朝6時から夕方まで釣り上がっても、最源流には辿り着けなかった記憶がある。実際、その
日は、私一人で30〜40cmの岩魚を100以上リリースしていた。そんなパラダイスの更に奥には、まさに桃源郷と呼ぶに相応しい世
界が待っていた。その前に、この滝上の渓の岩魚は完全に陸封された岩魚だ。海降してアメマスになっても途中の堰堤や魚止めの滝
で遡上できいなからだ。因みに下流域では夏から秋の大雨の後にアメマスが沢山釣れる。かなり昔だが、ルアーをやっていた頃に、下
流部の海から1qまでの行程で40〜50cmのアメマスを30匹以上釣った事もあった。そう言えば、その時、オマケで初めてサクラマス
を釣った事も思い出した。それは、64cmのオスのサクラマスで、少し鼻の曲がった立派な魚体だった事は覚えている。
この沢の近くにある町には、釣友が数人か住んでいる。その内の一人は、家のすぐ横を流れる川から水を引き、自作の大きな池を作
っていた。そして、自分で釣って来た、虹鱒やアメマス、岩魚や山女魚などの鱒類を、その池に放し、飼っていたのだ。周囲には、木の
柱を立て、鳥避けのネットまで掛けた、養魚場さながらの本格的な養魚施設になっていた。彼は常日頃、私に釣った鱒を持ってくる様
に言っていたが、既に、キャッチ・アンド・リリースの啓蒙を受けていた私が鱒を持って来る事は無かった。彼の事を思い出し、これを
書いていると、更に懐かしい思い出が蘇ってきた。もう、いつ頃だったかは思い出せないが、当時、アメリカのFFFに入会していて、キ
ャッチ・アンド・リリースと共に、鱒の放流にも興味を持った。そして、自分の大好きな川に、数回、虹鱒を放流した事もあった。勿論、
初めの内は、成魚や稚魚を買って来ての放流だったが、成魚放流では、鱒が川に居付いてワイルド化するのは難しく、いつの間にか
、居なくなる事が多かった。そして、FFFの会報から発眼卵放流の事を知り、一生懸命勉強したのを覚えている。アメリカでの鱒の放
流事業は、ヴァイバート・ボックスと言うプラスティック製の四角い籠を使って行われている事が判り、早速、取りかかった。その方法
は、鱒が川に居付く可能性が高く、自然繁殖し易いとの事で、すぐに、FFFからヴァイバートボックスを数十個取り寄せた。しかし、発
眼卵を入れて川にセットするこの方法は、真冬の冷たい川の底に穴を掘らなければならず、大変な労働を長時間強いられる。大変
な作業だった。
今は、環境問題などから、外来種は「どうのこうの」と問題になり、ここ、北海道でも放流が規制されるようになったの
は言うまでも無い。私が虹鱒を増やそうと思っていたのも、30年も前の話だが、昔から釣り目的でブラウン・トラウトを放流して来た、
諸先輩方のお陰で、我々も楽しい釣りができたと思っている。ここで、鱒類放流に付いての良し悪しを述べるつもりはないが、レイン
ボー・トラウトはアメリカ大陸、ブラウン・トラウトはヨーロッパ大陸の原産であり、それらは、釣りと言う趣味の為に世界中に移植され
た物なのである。北海道には、戦前から食料として養殖する為に移入されたらしいが、昔は食べる為、今は遊ぶ為などと、その違い
を理由に規制するのは、勝手な話である。今は、ワイルドと言うより、ネイティブと言った方が正しいであろう、北海道のレインボー・ト
ラウトは、100年も経とうとしている現在、外来魚として扱うのは、今更ながら変だとは思う。但し、今、行政が目くじらを立てているの
は、ブラウン・トラウトについてなのだが・・・・。更に、北太平洋全域に生息するレインボー・トラウトの原種、つまり、海に下るスティー
ルヘッド種は、アメリカ、カナダ、アラスカの他、カムチャッカやロシアにも多く生息していて、その一部は昔から道北の河川にも遡上
している。だから、現在、北海道内、特に北部に生息しているレインボー・トラウトはネイティブなのか、食用に移入された物なのか、
或いは、放流された物なのかは判らないのである。それを知る方法は、詳しい追跡調査や遺伝子検査以外には無く、今後の学者さ
んたちの研究に期待するのみである。
話は戻るが、その町には、自作の池を作った彼の他に、もう一人凄いやつが居た。然程、親しくしていた訳では無いので、名前も思
い出せないのだが、当時は、その彼にも大変お世話になった。彼も釣りをするのだが、何と、その小さな漁村で、1人で鱒を養殖し
ていたのだ。お世話になったと言うのは、勿論、私が放流していた鱒の中にも彼の育てた物が含まれていたからだ。前者の友人と同
じく、彼の家の横には小さな川が流れていた。だが、彼の場合は養魚池では無く、古くなった廃船、「磯船」と呼ばれる小さな漁船が
養魚場だったのだ。家の裏には、その小さな漁船が2艘か3艘置いてあり、太いホースで川から水を引いていた。確かな記憶では無
いが、3隻だったと思う。一艘目には採卵用の親のニジマス(50〜60p)が10匹程飼われていて、2艘めには、1年目の新子が数百
匹とネットに入れられた発眼卵があった。そして、3艘目の中では、100匹ほどの岩魚が養殖されていた。友人に紹介されて知り合っ
たのだが、私が虹鱒を売ってもらう為に訪ねると、彼は即座に、これは売り物では無いと断ってきた。しかし、どうしても稚魚が欲しか
った私は、○○○川に放流したいので、ぜひ、売って下さい、と執拗に迫ると、鱒の代金は要らないが、替りに餌代を払ってくれれば
、持って行っても良いと言ってくれた。私は、数百の稚魚と交換に、1〜2万円の餌代(1年分)を置いてきた様な気がする。そして、彼
と私のその関係は3年程続いたが、ある年、突然壊れる事となったのである。それは、大雨による増水で彼の養殖施設が破壊され
てしまったからだ。3艘の船のうち、2艘は残ったが、船1艘と全ての鱒達が全て、海に流されてしまったのだ。その後、彼は施設を
復興させる事は無く、私との取引もここで終わってしまったのである。この様に、鱒を増やそうと行っていた当時の私の試みは、ここ
20年以上、私の記憶からは完全に消されていた。今、思い出しながら、こうして書いているのだが、自分自身、こんな事をしていた
のは何故か信じ難い、若い頃の遠い思い出である。それよりも、私が放流していた鱒達は、今、どうなっているのか?子孫を残し、
ワイルド・トラウトとして、釣り人達を楽しませているのだろうか?それが目的の放流だったが、自分自身は、自らが放流した川に行
く事は無く、何故か、それらの流れからは、足が遠ざかってきた。
幻の渓に付いての話も、おかしな方向へ行ってしまったが、幻の渓のすぐ近くの町で起こった話はもう少し続く、或る日、また別の一
人が私に教えてくれた。近所の親爺が、使わなくなった古いバスタブを家の前に置き、そこに裏山から水を引いて鱒を飼っている。そ
して、中に入っているのは、どうも漁師の網に入った巨大なアメマスらしいとも・・・。「でっけーアメマスが揚がってさ、例の親爺の風呂
桶に入っているから見に来い!」と。私が大きさを聞くと、彼は1m位だ!と言った。1m?そんなアメマスがいる筈無いだろう、イトウ
でもないのに、と彼に言うと、彼は、「じゃぁ!
見に行くべ!」と言って、親爺の家に私を連れて行った。その古く汚れたバスタブは家
の玄関脇、道路沿いに無造作に置かれていて、古い風呂板で蓋をしていた。長さは1m、幅は80pほどの四角いタイル張りの昔の
バスタブだった。そして、彼が徐に端っこの木の蓋を1枚取ると、トンデモナイ物が目には入ってきた。それは、成人男子の手のひら
を思い切り広げたよりもデカイ尾鰭だった。秋に捕れる鮭の尻尾よりも更にデカイ!うわっ!と思わず声が出てしまった。何か恐ろ
しい物を見てしまったような恐怖さえ感じられた。私はそれ以上、風呂の蓋を取って欲くは無いと思ったが。彼はいきなり板を数枚
取って、どうだっ!と自慢げに私に言った。私の目に飛び込んできたのは、風呂の中で体を少し曲げ、身動きも取れず、泳ぐ事も、
向きを変える事も出来ない程の巨大なアメマスの姿だった。まさしくそれは、魔物!魔物と呼ぶに相応しい魚体だった。そして、更に
驚いたのは、それが、1匹では無く2匹いた事だ!勿論、気味が悪くて、その時はその大きさを測る気にはなれなかった。これは全
てノンフィクションであり、伝説でも創作でもない。まさしく、私の思い出したくない記憶の一つである。
素晴らしい桃源郷の思い出を書いているところで、またまた、とんでもない記憶が蘇って、ついつい話が逸れてしまうが桃源郷の話
に戻ろう。そう、最源流にある桃源郷だ。陸封された岩魚だから、それ程、大きな奴は居ないだろうと我々も思っていた。水性昆虫
は殆どいないので、源流域の食性はテレストリアルがメインだろう。だから30cmチョットが限界だろうと。それも、小さな流れなので
、大きめのプールでも1〜2匹も居ればいいところだと思っていた。何せ、滝から源流までは幾らでも釣れるが、殆どが30cm台の大
きさだ。ところが、その森の最深部こには、私のキャリアや経験が当てはまらない全くの別世界があった。生態系を無視しているとで
も言ったら良いのか、常識を覆すと言うべきなのか、何せ凄い、凄すぎた。最源流の殆ど最後の方の階段状のプールを釣り上がり
、最後だと思われる少し大きなプールに着いた時、私は、いや私達は言葉を失った。幅3m、長さ15m、深さ50cm〜1mの最終プ
ールには、ぱっと!見ただけで、30cmオーバーが7〜8匹見えた。何で、この程度の大きさのプールにこんなに沢山居るんだ?そ
れも、結構な魚体だ!
これは凄い場所だと思いながらキャストして、1匹目を釣り上げてみると、何と45cmもあった、これはアメマ
スではない、源流岩魚だ。我々が30p程度に見えた理由は、プールの水面に近い、低い角度から魚を見ていたからだ。つまり、実
際の大きさよりも小さく見えていたのだ。続いて相棒がキャストした!確か、彼も少し大きな47〜8cmを釣り、そしてまた私、これも
同じ大きさだった。そして交互に何匹釣っただろう。多分、5〜6匹目からだと思うが、2人とも大声で笑いだし、笑いが止まらなくなっ
てしまった。これがナチュラル・ハイだ!いや、フィッシング・ハイと言った方が正しいかもしれない。そして、ゲラゲラ笑いながら、更に
そのプール釣り続けた。50cmオーバーも釣れたと思うが、既に、私達にはどうでも良かった。その後も大岩魚釣りを満喫して、一段
落したところで、ニンフフィッシングが未経験の相棒にニンフィングを見せようと思いたった。私は、ドライフライを外してニンフを結ん
だ。何でも釣れるだろうと思い、取り敢えずフェザントテイルを結び、マーカーには蛍光ピンクのポリヤーンを結んでキャストした。す
ると、大岩魚はすぐニンフに喰い付き、マーカーが動いた。更に水中を引っ張られているマーカーに別の大岩魚が喰いつき、ニンフ
とマーカーの両方を2匹の岩魚が引っ張り合っている。ポリヤーンをミミズと間違っているのだろうか?ロッドを煽り、メンディングして
マーカーに喰いついている岩魚の口からマーカーを引っ張り出しても、また喰い付いてくる。源流はエサが少ないので、かなり腹が減
っているのだろう。マーカーに喰いつく魚が邪魔で釣りにならない。結局、マーカーを外してニンフだけにして、フライラインの先端の動
きと魚の動きで当たりを取った。誰も入っていない原始の流れとは、こんなにも凄いのか、と思いながら釣り続けた。
ところで、その幻の桃源郷は今、どうなっているのだろうか?確か15年前の、その渓への最後の釣行の時も、林道は殆ど車が通れ
無いほど荒れていたのは覚えている。当時でも、道の真ん中にまで灌木が生えていて、それを車でなぎ倒さなければ行く事が出来な
かったのだ。更に、太い倒木が道を横に塞いでいて、私はそれも車で乗り越えた記憶がある。もしかしたら、今は誰も行っていないの
かも知れない。恐らく、あの状態から察すると、今は誰も行く事が出来ない程アクセスが酷い状態になっているかも知れない。ひょっ
としたら、我々が手を付ける以前の、更なる原始の流れに戻っている可能性さえある。だとすれば、誰も行かない桃源郷が今でもそ
こにあるだろう。だが、私自身はもうあの場所に行く事は無いと思っている。何故ならば、あのハードなアクセスを行くのは、この歳で
はもう面倒だし、天国に2度行く必要は無いと思えるからである。
Episode 11 Sudden Heaven 桃源郷 in アメリカの思い出を1つ。あれは確か98年の夏の事だと記憶している。3週間以上に
渡るアメリカ中西部の気ままな釣り旅。オレゴンからロッキー山脈を越えてアイダホのSilver Creek Preserveに向かう途中の出来事
だ。その日の宿も決めずに走る、バンブーロッドビルダー3人衆のワゴンは真夏のアイダホを爆走中だ!もう、何日釣りをしたのか
も覚えていない。川の場所も名前も判らずに釣った事もある。最終的には6.000q近く走る事になったのだが、ロッキー越えの途中で
は、マッケンジー・リバー中流の大きなダム下でキングサーモンかスティールヘッドのジャンプを見た。残念ながら8#のタックルを持
っていなかったので眺めて終わりにする事にした。そして、山越え。確か、デシューツ・リバーの源流部ではスティールヘッド種の幼魚
が入れ喰いだった。10〜15pのニジマスである。そして、ロッキーの分水嶺を越えた途中の町、Bendでは現在のペインロッドの工房
にも立ち寄ってみた。私もペインロッドを所有しているので、現在も引き継がれ、作られているペインロッドに興味があったからだ。し
かし、アポイントは取っていなかったので、工房兼、店舗がその日クローズしていてる事は判らず、D.Holloman氏には会えなかった。
楽しみにしていたので、とても残念だったが、その日の予定がシルバークリーク近くのベルビューと言う小さな町まで行く事だったの
ですぐに車を走らせ、町を出た。ベルビュー到着は夕方になりそうだったので、あまり時間が無い。無理してシルバークリークのイブ
ニングに直行しても忙しない釣りになるだろう。目的地の手前に、何処か良いポイントが有れば、今は、そこでイブニングをやり、シ
ルバークリークは明日の朝、ゆっくり行った方が良いだろうと言う事になり、アトラスを広げた。アトラスマップには、フィッシングポイン
トに魚のマークが付いているので、釣り師にはとても便利な地図である。昔、ニューヨーク州キャッツキルで大変お世話になったので
、今回の釣行でも必要だと思っていた。だから、今回、行く予定の全ての州のアトラスマップは到着後、空港の書店ですぐに手に入
れた。地図の川沿いやダムに魚マークが何個も付いていれば、そこは、絶好の釣りポイントである。そして見付けたのはベルビュー
から50qほど手前にあるダムの下流のポイントだった。勿論、そこには複数の魚マークが付いていた。Anderson Reserver
それが
この話の桃源郷である。川の名前はSouth Fork Boise
River である。ボイジー川は日本では、殆ど、紹介される事が無かったので、
フライ歴が長い3人でも、誰も知らない無名のポイントだった。だから、全く期待はしていなかったが、地図を見た感じでは、山に囲
まれた谷川の、大きなダム直下のポイントなので、何となく釣れそうな予感がした。そう、アメリカによくある疑似スプリングクりークと
言う奴だ。だから、ぶっつけ本番でも、行く事を決断をした。ダムサイトを越え、対岸の道路を下流に向いながらポイントを探している
と、1台の古いベンツが近づいてきた。そして、私たちの前に止まった車からは一人の初老の紳士が降り立ち、微笑ながら話し掛け
てきた。何処から来たのですか?この川は初めてですか?私が、釣れそうなポイントを探しているのですがと言うと、そのベンツにゴ
ム長靴の紳士は我々にこう言った。着いて来い!いいポイントに案内してやる。我々は彼の言う通り、直ぐ後に続いた。そして、400
〜500m行った所で止まると、その紳士はここは良いポイントだから、イブニングはこのプールを攻めなさい。と言い残し、彼の車は
下流のポイントへと去っていった。これはラッキー!地元の、それもかなりキャリアの有りそうな釣り人にポイントを教えて貰えるとは
思ってもみなかった。そして、この場所こそが天国の入り口?だったのだ。いや、ある意味、地獄の一丁目だったとも言えるのだが
・・・・。
早速、我々は河原に降り立ち、イブニングライズに対する戦闘準備に取り掛かった。だが、あの紳士が「ここのレインボーは
大きくてパワーがあるぞ!」と言っていたのを思い出したので、バンブーロッドのテストを兼ねた旅ではあったが、急遽、私は予備に
持って行ったタックルの中から、最強の9フィート6番のカーボンロッドを繋いだ。ティペットは3X、フライは見易い12番のカディスを
結んで、イブニングの準備は整った。ロッドを気にせずに、大物とのやり取りを楽しみたかったので、カーボンロッドにしたのは正解
だろう。イブニングは、短期決戦だ!ロッドやラインのトラブルは出来るだけ避けたい。大鱒はニュージーランドでマイクと数え切れ
ないほど釣っていたので、50〜60pのレインボートラウトならこのタックルで十分だと踏んだ。ダムから放出されている水量は豊富
で、川幅が細い場所では激流になっている。だが、我々のポイントは急流が終わる、開けた場所にあるプールだ。多少、流れは速い
が、30〜40mはある大きなプールは、川の右側が流芯で、左側には大きく逆流して渦を巻いている場所がある。そこは、如何にも
大物が潜んでいそうなプールだった。我々は、全くライズも見られない、滔々と流れるプールで暗くなるのを待った。紳士の言う通り
の最高の場所だとすれば、鱒は必ず居るだろうし、ライズが始まる前に毛鉤を打ち込んで、不用意に場を荒らすのはマイナスであ
る。我々は、キャストするのは止めて、じっとライズを待つ事にした。10分も経ったろうか?すると、目の前をカディスが飛び始めた
私はニタリ!と自分の口元が緩むのが判った。来たっ!そろそろプライムタイムの始まりだ!と思った瞬間、流芯の左脇の逆流に
ライズ発見!キャストしようと思いながら、ラインをリールから出していると、そのライズのすぐ脇に3個の大きな頭が同時に出た!デ
カッ!と思った次の瞬間、更に5〜6個の大きな頭が同時に出た!何だこれは!いったい何匹いるのだ?私の心の中は欲望で溢
れ、その大きな鱒達を10匹同時に掛けたいと思った。延縄漁(はえなわ)では無いので、そんな事は不可能なのだが、取り敢えず
1匹、掛けようと少し焦り出した。直径2メートル程の逆流の渦の中にはライズが10個程、頭が出たり入ったり!12、13匹、いや
もっと居るかも知れない!だが、ライズを数えている場合では無い!と思い、ファーストキャスト!勿論、1発フッキング!しかし、こ
こからが地獄の始まりだった。水量は多く、重量感のある流れで、思ったよりも早い。それに、プールのすぐ下流には手強そうな長
いリフルが待っている。下流には走らせてはマズイ。このプール内で仕留めなければならないのは間違い無いし、面倒な事にもな
る!だが、6番ロッドは既に満月!下流に走らせる事が出来ないので、リールをサミングで止めて耐える!耐える!耐えるしか無
い。ターゲットは何ポンドだろう。5〜6ポンドか?ロッドが折れるか!ティペットが切れるか!どちらにしてもリフルを下って次のプ
ールまで降る余裕も無い。と思った瞬間!3Xがプッチッ〜ン!やっぱりダメだったか!イブニングは時間が限られている。何匹キ
ャッチできるか?直ぐに新しいフライを結んでキャスト!2メートルの渦の中なら何処にフライが落ちても、即 Fish
On!だ。2匹目
もまた流芯に突っ込む。またまたロッドは満月!また、耐える、耐えるが、ダメだっ!やっぱり切られた。ロッドが折られないだけ、
まだマシだが、薄暗い中、鱒の正確なサイズも判らない。50cmか?60cmか?6番のグラファイトと3Xで流芯から引きずり出せ
ない。下流に走らせるスペースがあれば簡単に捕れる状況ではあるのだが。8番ロッドでもあれば1Iティペットでひっこ抜ける!
しかし、手持ちの武器は6#が最強だ!3匹目も全く同じ状況で、敢え無くアウト!4個めのフライを結んだが、そうこうしている間
に真っ暗闇でタイムアウト!ウ〜ッ!残念!。結局、全敗に終わってしまった。まあ、仕方がないか、と諦めつつ、後ろ髪を引かれ
る思いで、我々はベルビューの町に向かった。確か仲間の一人はバンブーロッドでチャレンジして、折られた記憶もある。此処は、
フライフィッシング天国なのか!Hellなのか!まあ、ここはアメリカだ、日本では考えられないフィールドが幾らでもある。あんなデカ
イ鱒がひしめき合ってライズする様。参りました!と素直に認めて、次のシルバークリークに期待しながら旅は続いた・・・・・!日本
に戻ってから数か月が過ぎた或る日、偶々、自宅にあったリバージャーナルと言うアメリカの釣り本のアイダホ版を読んでいて、ふ
と!思った。そうだ!あの時、ぶっつけで行った、あのダム下のポイントは何と言うのだろう?あの時は川の名前すら知らずに行っ
たので、突然、調べてみたくなった。地図を開いて走った道を思い出しながら、オレゴンからアイダホへの州境の辺りにアンダーソ
ンダムを捜した。ダムの名前だけは、うろ覚えで何とか覚えていたので、多分見つける事が出来るだろうと思った。確か、この辺ま
で走り、シルバークリークの手前辺りに在ったはすだと、走った道路を指でなぞりながらハイウェイの北側に位置する筈のダムを捜
してみた。あった!確かここだ!川の名前はボイジーリバー。近くにBoiseと言う町があるからだ。その南側の支流South Forkにそ
の桃源郷はあったのだ。恐らく、2度と行く事は無い場所だと思うが、記憶が蘇って来たので、リバージャーナルのシルバークリー
ク版に、そのポイントの解説があるかどうかを捜してみるた。すると、小さくではあるが、アイダホエリアに載っているのを見つけた。
解説文を読むと、アイダホにはHenry's ForkやSilver Creekの他にも数え切れない程、素晴らしいフライフィッシングポイントが存在
するが、アンダーソンダムのダム下はメジャーでは無いが、隠れた素晴らしいポイントの一つだと書かれていた。もしも、シルバー
クリークに行く予定があれば、ぜひ時間を作って寄ってもらいたい、お奨めポイントがボイジーリバーだ。元々、この川にはネイティ
ブで紅鮭がいるようで、陸封型の紅鮭をコカニーサーモンと呼んでいるらしい。そして、アンダーソンダムの湖では、そのコカニーが
釣れる。アメリカには日本に紹介されて来たメジャーな川よりも、更に凄い川が沢山有る。ボイジーリバーはそんなポイントの一つ
だ。続報、その時のメンバーの一人が数年後にこの場所を訪れたらしいが、リベンジできたかどうかは聞いていない。
Episode 12 ラインの話 ここでフライラインの話でもしてみよう。これも結構昔の話で20年近以上前の事だった思う。何処のロッ
ドだったかは忘れたが、確か5番ウェイトの最新のカーボンロッドを新調した時の事だ。序でに新しいラインも揃えようと、WFの5番
も一緒に買て帰った。早速ラインを通してキャストしてみると、10ヤード程しか出ていないにも拘らず、やたらとラインウェイトの乗り
が良いのだ。何処か変だと思いながらラインを更に伸ばして行くと、硬いハイモデュラスカーボンなのに、バットまでググッ!と重さが
伝わる。簡単にフルライン以上が出て、ラインはロケットの様に飛んで行く。これは、かなり変だ!ラインが重すぎる。もしかしたら、こ
れは5番ラインでは無いのかも・・・・?だが、そんな事が有る訳が無い、自分のキャスティング感覚が、ラインメーカーよりも正確な筈
は無い。そうお思いつつも、再度、箱と中のリールを確かめた。しかし、そのアメリカ製の某有名化学メーカーの箱にはWF#5のシー
ルが確かに貼られている。勿論、中のラインホルダーにも同じシールが貼られていた。だが、やっぱりおかしい!多分、これは中身と
シールが違うぞ!シールの貼り間違いだと思いながら、購入した釣り具店に持って行き、ラインの重さと、太さを計測してみた。すると
予想通りの結果で、そのWF#5は、太さと重さから、恐らく7番ラインで、アメリカの工場で入れ間違えたと結論付けた。釣り具店でも
、こんな事も有るんですね?初めての事ですよ!と言いながら、心良く取り換えてくれたのだが、皆さんはこんな経験をお持ちだろうか
?恐らく、大手メーカーの事だから、箱詰めするパートのおばさんがシールを貼り間違えただけの単純がミスかも知れない。しかし、事
は重大である。もし、これが頻繁に起こっているミスならば、フライロッドのキャスティングテストに重大な悪影響を及ぼす可能性が有る
。7番とか8番のヘヴィーウェイトなら判りやすいかも知れないが、3番や4番のライトラインならば、ましてWFラインでは無く、DTライン
だったら簡単にはその違いが判らないかも知れない。軽いラインを短く出してのショートキャスティングインプレッションなら、ロッドに掛
かる負荷が小さいので、ラインウェイトの違いが明確には出ないのでは無いだろうか?つまり、4番ラインだと思ってテストしているライ
ンが実は3番だったらロッドが硬く感じられるし、その逆ならばロッドが柔かい、或いは、アクションで言うならスローアクションだと間違っ
た結果を導き出す可能性さえあるのだ・・・・。滅多に起こらない事故だとは思うが、現実にあった事なのだ。つまり、ラインを基準にロッ
ドを評価すれば、そのアクションに関して間違った評価を下す可能性も否定できないと言う事だ。そして、更に重要な事は、同じライン
ウエイトでも、DTラインとWFラインではキャスティングフィールが全く違うのである。トップからラインを10ヤード程出して振り比べると、
WFの方がDTよりも遥かに重く、同じラインウェイトだとは思えない程だ。つまり、DTは軽く感じるのだ。それは、WFラインが先端から急
激なテーパーで太くなっているからで、当然、ラインの前方部分だけで言えばWFラインの方が重いのだ。元々、WFラインはロングキャ
ストに於けるシューティング性能の向上を目的として開発されたデザインだが、この先端の急激なテーパーの変化と重さを利用すれば
、ショートレンジでの取り回しを楽にし、フライまでのパワー伝達、ターオーバー性能をを向上させる性能を持っている。特に、大きなド
ライフライやウェイテッドニンフには効果を発揮する。つまりは、こうだ。今、自分が使いたいロッドが7フィート4番のバンブーロッドで
、川幅が5〜6mの山女魚の流れに居るとしよう。季節はまだ早く、水温は低めでライズは無い。その為、ドライよりはニンフに分があ
ると思われるし、水量も少し多い事から、重いニンフの出番が考えられる。こんな良くあるシチュエーションだが、フライラインは何をセ
ットすれば良いのだろう。この場合、私ならば4番指定のロッドではあるが、DT4番の出番は無く、DT5番かWF4番を選択する。恐らく
フライラインは10ヤード程しか出さないので、DT4番ではラインのターンオーバーパワーが少な過ぎて、ウェイテッドニンフには適さな
い。つまり、前記の2択から迷うところだが、恐らくWF4番を選択するだろう。小さな流れで、ウェイテッドニンフ、10ヤード以下のロー
ルキャストのし易さを考えれば、ターンオーバーさせるパワーが大きなWFライン方が良いからだ。但し、これが15ヤード以上のキャ
ストを求められる場合やドライフライのミッジに切り替える可能性がある場合は、4番のDTラインでも良いかも知れない。また、風が
強ければ、5番のWFラインも考えられる。つまり、4番指定のロッドだから4番ラインを使うのでは無く、コンディションや状況に合わ
せてラインを使い分けるのである。もっと言えば、自分が使うロッドのアクションや特性によって、使うラインを自由に変えれば良いの
だ。更には、使う側のキャスティング技術によっても、そのロッドに合うフライラインは変わってくるのだ。だから、ロッドの特性や、自分
のフィッシングスタイルに合わせて、自由にラインを選択してやれば良い事になる。だから、このロッドは4番ロッドにしては柔らか過ぎ
るとか、パワーが無いとか、スローアクションだ、などの様に、ロッドのアクションをフライラインを基準に評価してもしょうがない。
結論から言えば、ラインウェイトの指定はどうでも良いのだ。勿論、カーボンロッドでもそうなのだが、カーボンロッドの場合は、よりキ
ャスターの技術レベルが重要になって来る。よくあるのは、フルラインキャストを基準に、ロッドの性能、アクション、フライラインなどを
評価する事だ。釣堀でキャスティング練習しながら遊ぶのであれば良いのだが、実釣ではフルラインキャストする事は殆ど無い。湖
などの特別な釣りを除けば、殆どは、ショート、或いはミドルレンジの15ヤードまでのキャスティングとなる。フルラインキャスティング
は、カーボンロッドを使ったキャスティング練習だけにすべきであり、実釣で待っているのは、ティペットやリーダーに出来るウィンドノ
ットだけである。そして、それは大物が掛かった時のラインブレイクにつながり、少ないチャンスを逃す事にもなり兼ね無いのである。
実釣では、その範囲内でのプレゼンテーション性能を優先させるべきであり、リーダー、ティペット、フライまでのターンオーバー性能
を重視すべきである。事実、ロッドにフルラインキャストが出来る為のラインをセットすれば、実釣での10ヤードのキャストではライン
が軽すぎて、コントロールとターオーバーに無駄な力を掛けなければならなくなる。実は、そのアンダーパワーのフライラインをキャス
トし、ターンオーバーさせる為の余計な力が、バンブーロッドにとっては致命的になるのである。理想的なバンブーロッドのキャスティ
ングは、無駄な力は掛けずに、ロッドの緩やかな弾力と、その反動を確実に伝えるラインパワーで、力まずにフライまでターンオーバ
ーさせる事である。過度の加重を掛けなければ、ターンオーバーしないラインシステムや状態では、その力んだ力がロッドを壊してし
まう可能性があるからだ。だから、ロッドのライン指定と実際に使うラインは、それ程厳密に決めて使う物でも無い。ディスタンス競技
でも無ければ、綺麗にターンオーバーして、リーダー、ティッペット、フライが狙い通りにキャスト出来る事の方が重要なのだ。それに、
バンブーロッドは同じテーパーで作られていても、其々が使われた竹によって微妙にアクションが違うし、初めからカーボンロッドの
様な画一性は持ち合わせてはい無い。だから、バンブーロッドに使うラインにも画一性を持たせる必要は無いのだ。私は今、殆どシ
ルクラインを使っているが、化学工業製品では無いシルクラインに画一性を求める事は無い。つまり、手作りのバンブーロッドと同じ
感覚で使っている。買う時には一応、4番ライン、或いは5番ラインと注文はするが、実際に、どのロッドに使うのかはロッドにラインを
通して、振ってから決めている。因みに、シャルル・リッツをはじめ、欧米のバンブーロッドを知り尽くした著名人たちは、バンブーロッ
ドにダブルテーパーでは無く、ウェイト・フォーワードWFラインを使っていた。その理由は、WFラインの急激なフロントテーパーにある
。シューティング・ヘッドとしてデザインされた、短く、落差の大きなWFのフロントテーパー部分は、フルラインキャストを前提にした場
合、錘の役目を果たす。つまり、ライン全体のデザインはシューティング・ヘッド+ランニングラインと言う事になる。しかし、10ヤード
前後のショートレンジで使う場合は、その太くて重い、テーパーのきついフロント部分だけを使う事になる。その使い方は、WFライン
本来のシューティング目的では無いが、ライトラインのバンブーロッドでは最高の能力を発揮する。特に、ロングキャストの機会が少
ない、3番.4番のライトバンブーロッドに於いては、その急激なラインテーパーのパワー伝達力が功を奏するのである。WFラインの
パワー伝達力は、5ヤードから10ヤードのショートキャストを多用する渓流や、源流域で特に活躍する。DTラインよりも急激なフロン
トテーパーは、ロールキャストやラインピックアップなどの細かいラインコントロールを可能にする。更には、リーダー、ティペット、フラ
イまでのターンオーバー性を向上させ、力まずとも、正確なプレゼンテーションを可能にする。即ち、ショートレンジの釣りで使い易い
と言う事になるのだ。それらの利点の中でも、特に重要なのは、キャスティングストロークで力まなくても良いと言う事だ。つまり、ロッ
ドにオーバーパワー(過負荷)を掛けなくなるので、ロッドへのダメージを最小限に留める事ができるのだ。結果、バンブーロッドの負
担を軽減し、長持させる事が出来るのである。リッツがWFラインだけを使っていた理由が、そのどちらかなのはハッキリとは判らな
いが、その両方だったと私は推測している。日本では、繊細なプレゼンテーションと言う合言葉のもと、ライトラインの優位性が取り
上げられるが、実は、ソフトにプレゼントすべきは、長いリーダーとティッペットと毛鉤であり、それらを少ない力で確実にターンオーバ
ーさせるラインパワーの方が重要だと考える。
また、4番ロッド1本で5ヤードから25ヤードまでを完璧にカバーするロッドアクションやテーパーなどは存在しない。だから、ラインが
軽い場合のショートキャストは、ロッドストップのタイミングを急激にする事で、リーダーから先の部分をターンーバーせるテクニックに
頼らざるを得ない。つまり、多用するキャスティングレンジとラインウェイトとロッドアクションの3つの関係が重要になってくるのだ。バ
ンブーロッドでもカーボンロッドでも、ロングキャストが得意なパワーのあるロッドは、ショートキャストが不得意だ。だから、ショートレン
ジの軽いラインを綺麗にターンオーバーさせるには、ティップを細くして、パワー伝達をスムーズにしなければならない。しかし、その為
の細すぎるティップは、ロングレンジの重いライン負荷には耐えられず、耐久性に欠けて折れてしまう事になる。つまり、ショートキャス
トがし易い、繊細なバンブーロッドを作ろうとすれば、ティップが折れ難いロッドを作ってしまう事になる。専門的な言い方をすれば、テ
ィップが折れ難い丈夫なロッドを作る事が『 パラボリック回帰 』なのだ。これは私の造語だが、当時、ジム・ペインやレナード、ミルズ、
或いは、ポールヤングらが、ラインスピードの向上やナローループなどのキャスティンッグ性能を向上させる為に、先進的なプログレ
ッシブアクションと呼ばれるファーストアクションを開発して来た。しかし、後になって時代の流れに逆行するようにパラボリックアクショ
ン、即ち、ミディアムアクションのロッドをラインナップに加えたのは、ティップを太くした耐久性のあるバンブーロッドで、ショートレンジ
からロングレンジまでもカバーできるロッドを目指した物と思われる。つまり、キャスティング性能よりも耐久性を維持する方向に向か
ったと考えられるのである。但し、パラボリックなロッドテーパーはティップが細いファーストアクションやプログレッシブアクションより
も、多少、投げ分けるテクニックを必要とするのは確かである。これらのパラボリック回帰の方向性には、「グラスファイバーロッドの
登場」が重要なキーワードだったと思われるが、簡単に言えば、丈夫なロッドを作るから、後はテクニックでカバーしてくれ!と言った
ところだろうか?兎に角、キャスティング性能向上の為に竹のティップを細くする事には、限界が来ていたのだと思う。そして、現在、
世界的な銘竿と呼ばれるロッド達の中でも、特にペゾンや、ハーディー、レナード、ペインなどの中のパラボリックと言われるモデルが
、数多く折れずに残っているのは、その為だと思われる。
フライラインのテーパーとウェイトに戻るが、バンブーロッドでPVCのDTラインを使う場合はラインテーパーが緩過ぎるので、どうして
もパワー伝達力に欠け、キャスティングに力が入る。特に、3番以下の軽いラインや、ショートレンジでの綺麗なプレゼンテーションは
、思いの外、ロッドに負担を掛ける。PVCラインでもそうなのだから、シルクラインならば、尚更である。テーパーが掛かっているのか
、いないのか?殆ど分かり難い。パラレルラインの様にただの紐状では無いが、テーパーはほんの少しか掛かっている程度だ。それ
は、絹糸を編み込んだ物なので、PVCラインの様に極端なテーパーを作り出せ無いのは仕方が無い。それでも、普通にキャストし、
鱒を釣る事が出来る。極端な話、パラレルラインでのキャスティングする技術があれば、テーパードラインで無くてもキャストする事は
出来るのだ。だから、ロッドもそうであるが、結論は、自分が気に入った、使い易いラインを合わせれば良いのである。使うフライのサ
イズやティッペットの太さ、リーダーの長さによって、ターンーオーバーに必要とされるラインパワーも違って来る。大きく重いフライなら
、太くてパワーのあるフライラインが必要だし、小さく軽いフライなら細くて軽いラインでも良い。この様に、ロッドもラインもコンディショ
ンやターゲット、使うフライに合わせて選ぶのが理想であり、基本的には、外から指定されるべき物では無いと思う。ただし、ロッドに
必要以上の負荷を掛けないと言う点で、個人的にはWFラインの使用をお奨めしたい。勿論、バンブーフライロッドの場合である。不
幸にも?最新鋭のカーボンロッドからバンブーロッドに持ち替えてしまったフライフィッシャーは、ついでと言ってしまえばそれまでだが
、できればシルクラインも試してみるべきだろう。別に、フライフィッシングその物が変わる訳ではないが、どうせなら、ノスタルジーにド
ップリ浸かるのも一興である。喰わず嫌いは勿体無いし、性能云々を語る前に、出来れば使ってみる方が楽しみも増えるだろう。ビ
ニールラインほど安価ではないが、使う道具と言う物は高価なほど、その楽しみや満足感も大きくなる物だ。例えば、バンブーロッド
は高性能だから使う訳ではないだろう。ならば、ラインも低性能なシルクラインも面白い。更に、リーダーもシルクのブレイデッドリー
ダーにしてみよう。ビニールの様には浮かなくても、鱒は釣れる物だ。ティペットだけはモノフィラでも仕方はないが、ショートリーダー、
ショートティッペットでピンポイントキャストだ。つまり、低性能なラインシステムと、低性能なフライロッドで100年前のフライフィッシン
グを体感する事ができるのである。それはまるでハイラム・レナードとキャッツキルに行く様な物だし、もし、その時代遅れの道具で小
さな鱒でも釣る事ができれば、その喜びもまた一入である。ナローループやハイスピードライン、ロングキャストとは無縁の道具だが、
何故か近頃、ガイドを通すのはシルクラインばかりなのが不思議である。手強い道具で手強い鱒と対峙する。それもまた、面白味の
一つである事は間違い無い。
私事になるが、今はもう、昔の様にハッチマッチングの釣りが好きでは無くなった。と言うより出来なくなって来たのだ。世の、ベテラン
フライフィッシャーなら解かって貰えると思うが、それは、キャストした小さなフライが殆ど見えなくなって来たからだ。ライズで合わせる
事は出来るが、どうも面白味が無い!それならばと、大きなカディスやスティミュレーターを無理矢理使って豪快に喰わせる。もっと過
激な時もある!明らかに18番のメイフライがマッチしていると判っている状況でも、敢えて、見易い14番のカディスを結ぶ。 実は、今
日も午後から車で10分の近所の小川にロッドとシルクラインのマッチングテストに行ってきた。この時期、カディスのハッチはまだ無い
。あるのは18か20番のメイフライだけだ。時折散発的なライズはあった。だから、フライボックスから18番のメイフライを取り出してテ
ィッペットに結ぼうとしたのだが、チョット待てよ!ロッドとラインのキャスティングテストなのだから、別段、マッチングザハッチに拘る必
要も無い!と言い訳を考えて、見難いメイフライをボックスに戻し、視認性の良い16番のカディスを結んだ。まあ、取り敢えず誤魔化
しも含め、テイル部分にシャックの付いたカディスにした。このシャックでメイフライにでも見えてくれればラッキーだ!と思いつつ、プー
ルを2箇所、約1時間程攻めた釣果はと言うと、30p前後の岩魚が3尾と20pの山女魚が1尾、それと小さな山女魚が2尾程、まぁ
まぁ、鱒は居た!と一安心!但し、時折あるセレクティブなライズは取れなかった。小さなイマージャーか何かで、真剣にやらなければ
取れないライズだった。分かってはいたが、オジサンフィッシャーには、こんなもんでO、Kだろう!イブニングも見えないし、小さなフラ
イも見え難くなって来た今日この頃。だから、いつも大きめのフライで勝負だ!オジサンにはハッチ、マッチングが似合わない!心眼
の釣りも疲れるだけだ!見易いフライで無理矢理釣ろう!その方が楽しいと思える年ごろになって来たのかも知れない。最近、色々
見て来たが、どうも、上級者達も外に基準を求め過ぎるきらいがある。初心者ならば、早く上達する為には外からの基準が必要だが
、ベテランならは遠慮する事は無い。自分自身が基準になれば良いのだ。基本は何十年もやって来たのだから、もう卒業だ!
ところで、釣り糸の歴史の中で、シルクライン(天蚕)の以前は何を使っていだったんだろう、と疑問に思った事がある。フライフィッシ
ングのキャリアも、PVCラインとカーボンロッドより、バンブーロッドを使って来た時間の方が遥かに上回ってしまった。鱒を沢山釣り
たかった頃は、性能の劣るシルクラインなど、使う事さえ考えられなかった。しかし、シルクフライラインに興味を持ち、使っていく内に
、それ以前はどうだったんだろうと、何気なく思い、調べた事がある。馬の尻尾!ズバリ、絹以前は馬の尻尾の毛を編んだ物だった様
だ。そして、それと同時に思い出した記憶がある。それは、まだ私が小学校に入学する前の思い出だ。以上50年、半世紀も前の事
だが、何故か今でもハッキリと覚えている。恐らくそれが、私の釣りの原点だと思うのだが・・・。それは、函館の近郊にある大沼国定
公園での話だ。大沼は沼と付いてはいるが、結構大きな湖である。昔から、鮒や鯉、ワカサギなどが有名で、当時から沢山の釣堀が
あった。中でも、当時は沼を仕切って作られた本格的な釣堀の他に、釣り師では無い、一般の遊び客も簡単に鮒と遊べる、木の桶の
釣堀が公園内の広場内に点在していた。子供だった私にとっては、大沼公園に行って、その鮒の引っ掛け釣堀に行く事が楽しみだ
ったのは確かだ。木の桶とは言っても、縦2m、横3mほどの大きな箱で、水深は約30cm程だ。そして、その中には、5p〜30p
程度の真ブナやヘラ鮒が100匹程入れられて、釣り(引っ掛け)のターゲットになっていた。しかし、釣りと言っても真面な釣りでは無
く、当時の子供向けアトラクションとでも言った方が正しい内容だ。それは、30p程の竹の棒(太さは5o×5o角の割った竹ひご)
に約30pの黒い糸が結ばれていて、糸の先には、小さなトリプルフックが付いていた。そして、釣り方はと言うと、勿論、餌など付け
ない。その直径1p程の小さなトリプルフックで鮒のエラ蓋を引っ掛け、木の桶に入れると言う物だ。勿論、鉤を魚に突き刺す事は無
い。それは、過激な金魚すくいと言った方が適切かもしれない。更にバカバカしいのは、その中に50pは優に超える、絶対に釣り上
げる事が出来ない、大きな鯉も1〜2匹放されていた事だ。勿論、その細くて黒い糸では、そんなデカイ鯉は引き上げることなんで出
来ない。私も、何度と無くトライはした記憶があるが・・・・無理に決まっていた。その黒い糸が切られて終わりだった。因みに、金魚すく
いではすくった魚をボールに入れるが、そこでは引っ掛けた鮒を丸い木の桶に入れて置き、持ち帰る事が出来た。それは、今の時代
ではあり得ない、レトロな昭和を思い起こさせる、訳の解からない遊びだったが、私を含め、当時の子供達に人気があったのは間違い
ない。ただし、料金は1回いくらだったかは、全く覚えていない。そして、問題はその細くて黒い糸の正体だ!子供だった私は、その見
た目から、勝手に人間の髪の毛だと思い込んでいた。折り返して30p×2本だから、約60p、女性の髪の毛にしても、かなり長い。
あまり気にも留めていなかったが、或る時、思い切って釣堀の親爺に聞いてみた。すると、思っても見なかった答が返ってきた。はは
はっ!ボウズ、これは馬の尻尾の毛だ。馬の尻尾?その時は、ビックリしたが、あまりピント来なかったし、別にその答えに対して何
も違和感を覚える事無かった。当時は、自動車もまだ少なく、町中で馬車を見る事もあったからだ。つまり、馬は、日常見慣れていた
ので、その事は永い間忘れ去っていた。そして、数十年後にフライフィッシングの知識から、欧米でもシルクライン以前は馬の尻尾の
毛を編んで、釣り糸やフライラインを作っていた事を知った時も、全く驚く事は無かった。何故ならば、私も50年前に馬の尻尾を使っ
た事があったからだ。
Episode 13 Natural providence. フェザールアーと言う言葉を耳にした事があるだろうか?30年以上も前だが、これもアメリカの
釣り雑誌にあった言葉だ。「 Feather Lure 」 直訳すると、羽誘惑、或いは羽ルアーである。この号は、ストリーマーフライの特集記事
だったが、読んだ内容から察すると、ストリーマーやウェットなどの水中フライを、多少、卑下している様な内容だった。つまり、ドライフ
ライこそがフライフィッシングの醍醐味であり、ストリーマーやウェットフライなどの水中の釣りはルアーフィシングと同様で、自然界に於
ける完全な捕食行動では無いと言う物である。そして、それらのストリーマ、ウェットフライ、サーモンフライなどを『羽ルアー』と呼んでい
たのである。確かに、スティールヘッドやアトランティックサーモンの釣りでは、明らかに魚の捕食行動とは違うスタンスでフライが選ば
れるし、アトラクターフライト呼ばれる、アピール度の高いフライが使われる事が多い。私も長い事、鮭やサクラマスをフライで釣ってき
たが、やはり、産卵の為に遡上して来た魚は、もうエサを喰わないので捕食と言う概念でフライを選択する事は無かった。特に、鮭鱒
類はオスの方が釣り易く、メスは殆ど口を使わなくなる。それは、オスが自分や近くのメスに接近して来る小魚や、或いは、その他の
物体に対して、攻撃する習性を利用した物で、体当たりしたり、噛みついたりして追い払う。これは、種の保存の為の本能で、縄張り
を守ろうとする行為や、他のオスとの交配を防ぐ、或いは、産卵後の卵を食べられない様にするなどの意味がある。事実、鮭の産卵
床の下流では、他の多くの魚種が流れて来る卵を待ち構えているのである。だから、秋から冬にかけてはエッグフライが有効なのだ
が・
・・・。これらの事は、その多くを若い頃のルアーフィッシングから学んだ。メスの鮭はルアーが近づいて来ると、サラリと身をかわ
して避けてしまう。滅多に噛みつく事は無く、殆ど避ける事が多い。だから、メスの鮭は中々釣れない。例えば、自分の卵を食べにくる
物に対してさえも、攻撃する行動はとらない。攻撃や威嚇、つまり、戦う事よりも、逆に、逃げると言う行為が本能的に選択されていた
。何度やっても、何事も無かったかの様にヒラリと身を躱すのである。余程、しつこく攻めない限り、口を使って噛む行動は取らないの
で、産卵期のメスを釣りたい場合は、執拗にねばるしかないのである。しかし、オスの本能と行動は、それとは全く違い、自分に対して
向ってくる物や魚に対しては、積極的に噛みついて追い払う行動を見せる。特に、ペアリングしそうなメスが近くにいる場合は、メスが
避けても、すかさずオスが廻り込んで来て、部外者に噛みついたり、体当たりしたりするのである。それは、自分のライバルである大き
なオスの鮭に対してだけで無く、山女魚や岩魚、虹鱒やブラウン、ウグイなど、他の小魚に対しても、卵を守るため追い払おうとして噛
みつく。その結果として、オスの方がメスよりも果敢にルアーやフライにアタックして来るので釣れ易いのだ。それは海も同じで、河口に
近づく程、顕著になる。北海道では、どんな小さな川の河口でもショアからルアーで鮭釣りが行われるが、やはり、メスは中々釣れない
ものだ。だから、イクラを取る事が目的の釣り人達は、メスが釣れるととても喜ぶ。逆に、川からまだ遠い、沖の船釣りでは、オスもメス
も同じ様に釣れるのである。
魚の習性はさて置き、毛鉤の話に戻ろう。現在は3番・4番などのライトタックルによるドライフライフィッシング、ハッチマッチングの釣り
が全盛で、それ以前までブームだった、或いは、初期の頃に紹介されて来た英国式ウェットフライやダウンストリームの釣りが陰りを見
せてきたと思う。やはり、それは欧米に於いても同じで、スプリングクリークなどでの水棲昆虫による水面の釣りばかりが持て囃されてい
てる様にに思う。確かに、派手なスプラッシュやライズを見る事ができる水面の釣りの方が楽しいのは確かだし、私の中でも、ドライフラ
イフッシングには子供の頃から親しんでいた浮き釣りに通じる物があった。何の前触れもなく、いきなり水中に引きずり込まれる浮きを
見るのが大好きだったからだ。バス釣りやソルトウォターにしてもそうだが、やはりTopウォーターの迫力は釣り師を熱くさせる物である
。その為、ミャク釣りに近い、向こう合わせの水中の釣りは、敬遠される傾向にある。それは、アメリカに於いても同じで、極端なドライ
フライ信奉者も多い。だから、ストリーマーやウェットフライはルアーと同じである、とみなす人が多いのも事実である。日本でも、鮭や
アメマスなどの捕食行動を伴わない大物を狙う以外は、ドライフライ、オンリーと言うのは仕方が無い事である。しかし、それらの大型
魚を釣りたい場合は、やはり、水中の釣りに分があるのは仕方が無い。だから、私自身のフライフィッシングでも、大物狙い一辺倒だ
った頃は、ストリーマーやウェットフライ、サーモンフライを数多く巻いていた。勿論、海外のタイイング雑誌を見ながらありとあらゆるパ
ターンを巻いた。あの、芸術的なクラシックサーモンフライにまで手を出していたのは言うまでも無い。お陰様で大きなフライボックスを
沢山持つ事になり、とてもフッシングベストに収納し切れる状態では無くなっていた。特に、海でアメマスを狙っていた頃は、ベイトフィッ
シュやスカッドのイミテーションなどソルトウォーターフライも数多く巻いていたので、遂にはフライボックスが優に20箱を越えていた。ま
るで、ルアーが沢山入った手提げのツールボックスの様な状態である。当然、鮭やサクラマスなどの大物を釣るフライにはかなり拘りを
持っていたのだが、大物狙いのマイブームが去った頃には、フライボックスごと何処かに消えてしまっていた・・・・。
フライフィシングにも色々な分野があるのだが、やはり、殆どの場合、始めるキッカケとなるのは、あのドライフライの鮮烈な釣りだと思
う。だから、私も例に洩れず、ドライフライ以外に対して、多少の偏見は持っていた様に思う。「ドライフライ以外はフライフィッシングで
は無い」、などと決めつけてしまう。人はその時々のマイブームに陥る事で、他を受け入れる事が出来なくなり、更には、見下してしま
うのも仕方が無い事なのかも知れない。だが、それらの全てを経験し、通り過ぎる事によって、更にフライフィッシングに対する理解を
深め、また、認める事が出来るようになる。そして、それらの経験を元に、自分自身を更にレベルアップする事が可能となる。
アイダホのスプリングクリークでマッチング・ザ・ハッチの釣りをしていた時も常に思っていた事がある。今、目の前でライズしている40
pの鱒はメイフライを捕食している。そして、私は5番ロッドと16番のメイフライで、その鱒を釣っている。とても楽しいし、日本では殆
ど経験できない素晴らしい釣りである。だが、とても充実した時間を過ごしていても、なお、私の心の奥底に眠っている鮭釣り師(サー
モン・フィシャー)の魂が蠢く。入れ喰いのインセクト・フィーダー達の下には、魔物が潜んでいるだろう。モンスターがいるだろう。フライ
フィッシャーの聖地、マッチング・ハッチ・の殿堂、イエローストーンで大物狙いに走るのは邪道だろう?私の耳元で悪魔が囁く。8番ロ
ッドにパープル・ゾンカーで、スティールヘッドに負けないモンスター級のブラウントラウトを引きずり出せ!小指の爪よりも小さな毛鉤
でチマチマやっている場合ではないだろう!
この全く違う2つの釣りが、私を混乱させる。そして、私の頭の中では常によぎっている。
恐らく、この薄暗いイブニングの水中では、ある事が何が起こっている。暗闇に紛れて小魚を食べようとしている60p、いや70pの
ブラウン鱒が絶対にうろついている。ストリーマーを引っ張ればインセクト・フィーダーでは無い、魚食性のモンスターが喰らい付いてく
るだろう!殆どの魚は、自分の大きさの半分位であれば頭から丸呑みに出来る。口に入らない程の太さはダメだが、例えば、60p
の魚は30pを丸呑みにする。町の魚屋やスーパーでは見る事は出来ないが、漁港や漁船では、捕食した魚の尻尾が口から飛び出
しているのをよく見る。そして、いつも関心させられる。こんなデカイのを丸呑みするのか?口から引っ張り出そうとするが、喉のギザ
ギザが内側に向かっているので、手で引き抜く事は出来ない。
また、話が逸れてしまった!当時の私はアメリカでストリーマーを引く事を禁じ手としていた。マッチング・ザ・ハッチで教科書通り華麗
に釣るのを美徳としていたし、また、それが目的だった。そして、シルバークリークで、ヘンリーズフォークで恰好良く決めたかったのも
確かだ。ただ、心の奥底では、其処らじゅうに居るだろうトロフィーサイズをみすみす逃すのは、私自身の本意では無い事は判ってい
た。だから、頭の中に時々現れる、8番ロッドとゾンカーと70pの鱒の誘惑を振り切るのは容易な事ではなかった。そして、心の中で
は、いつも叫んでいた。誰だぁ〜っ!中位のまぁまぁの鱒を、小さな虫の毛鉤で釣る事を美徳だと唱えたのは〜!鱒釣り、一つ取って
も釣り方は色々ある。だから、ロッドやライン、フライなど、システムも適材適所で使い分け、色々なフライフィッシングに挑戦して楽し
みたい物である。そして、敢えて挑戦する新しい釣りは、自分の釣りの世界を更に広げてくれるだろう。最近、またブームになりつつあ
るツーハンドロッドやスペイキャスティング。大きな鮭鱒が少ない地域でも、盛んに行われているのは大歓迎である。そのターゲットは
北海道に沢山いるのだから・・・。鮭、サクラマス、カラフトマス、アメマス、イトウ、虹鱒、ブラウントラウトなどは、どれも60p〜80pに
も成長する最高のターゲットである。夢は、大西洋のアトランティックサーモンでだとしても、取敢えずは、国内で十分楽しめる釣りであ
る。
Episode 14 Lifespan of the rod. バンブーロッドの寿命について改めて考えてみた。自分でも今更?とは思うところだが、それが
私のフライフィッシングに対する思いなのかも知れない。そして、ここからが私のバンブーロッド造りの本題なのだ。私が使う、ペインや
レナードのバンブーロッドは余りにも完成度が高い。そして、その釣り竿としての完成度の高さから、それらを崇拝するあまり、「その他
のバンブーロッド達」を疑って来た。果たしてそれら、その他のバンブーロッド達は、ジム・ペインの作ったロッドと同じなのだろうか?同
じ製法で作られてきたのだろうか?現在、一般に公開されている製法と同じ物だとは俄かには信じがたかった。それも20年以上もの長
い間そう感じて来たのは事実だ。いつかは真実を知りたいと思い続けて来たが、如何せん、それら伝説のロッドメーカーの製法は、あら
ゆる部分で当時の企業秘密だった為、厳重に管理され、公開される事は無かった。歴史を調べて見ても、ペインもレナードも、その製法
を当時から極秘扱いにしていたのだ。勿論、彼らの社内に於いてもである。有名なところでは、レナードは竹を削る「ビベラー」を、ジム・
ペインは、「最終工程とバーニッシュ」を鍵の掛かった部屋でのみ行い、社員や仲間にも見せる事は無かったと言う。私が「その他のロッ
ド達」を疑った理由はそこに在る。つまり、彼らの工房で働いていたとか、関係者だったと言うだけで、彼らと同じロッドを作る技術や知識
を持っていたのだろうか?そして、後に同じ性能を持つロッドを作る事が出来たのだろうか?仕上がりや見た目は、見れば判るので誰で
も真似ができる。しかし、シャフト内部や途中の行程は別である。現在、一般に普及しているバンブーロッドの製法は、レナードやペイン
がシークレットにして来た製法を完全に実践した物では無い。ロッドアクションは振れば分かるし、ロッドテーパーは測れば判る。しかし、
私が最も違うと感じているのは、その耐久性だ。当然、レナードやペイン、ハーディー、オーヴィスなどは、その製作本数も圧倒的に多い
のだが、それにしても、百年後の現在でも生き残っている数が多い。だから、私は、現在普及しているロッドの製法をマスターした後、そ
れ以前にペインやレナードによって行われて来た彼らのバンブーロッド製法が知りたくて研究を続けて来たのだ。今で言えば、カーボン
シートの製造方法、強度や比重、耐久性能や、それを固めるレジンシステムの配合や成分が企業秘密であるのと同じなのである。つま
り、バンブーロッドも当時は最新の工業製品だったからなのだ。但し、その耐久性に関しては、殆ど情報が残されていないので、今となっ
ては真実を知る事は難しい。
現代に於けるバンブーフライロッドの存在意義は、どちらかと言えば、フライフィッシングと言う特別な釣法とその伝統に対するフライフィ
ッシャー達の敬意の表われと、この150年間に欧米のブルジョアの間で発展して来たと言う、高貴な物への憧れがもたらした物だろう。
当時から相当高価な道具だったバンブーフライロッドは、一般的な釣り道具では無く、特別な存在だった事は今も変わらない。昔の釣り
人が、全てスプリットケインロッドを使っていた訳では無い。恐らく、90%か、或いはそれ以上の人々は、もっと兼価なロッドを使っていた
。例えば、木製の竿や、細い丸竹の1本竿である。そう、バンブーロッドを使う事が憧れなのでは無く、フライフィッシングその物が高貴な
人々の遊びだったのだ。21世紀になり一般化したフライフィッシングは、もう、ブルジョアへの憧れでは無くなったのかもしれない。しかし
、我々日本人にとっては、キャッチアンドリリースを含め、基本的に欧米の進んだ文化に対する憧れである。そして、心の奥底には、ほん
の少しではあるが「他の釣りとは違う」と言う優越感と差別が見え隠れする。
そんな、ステータスシンボルも、他の道具達と同様、新たに登場して来た化学素材によって駆逐される運命にあった。だが、一度消え
かけたステータスシンボルは、90年代に入って、見事に蘇ったのだ。更に、その復活はプラスティックに取って替られた他の品々とは
明らかに違い、優れた道具として見直され、改めてその性能や存在価値が見直されたからである。確かに物理的強度や耐久性に於
いては明らかに劣っている。しかし、フライフィッシングだけに許された、その特殊なキャスティングが竹竿の存在を許したのだと思う。
だが、釣り道具である以上は、その強度と耐久性をある程度は確保しなければならない。グラスやカーボンの様なケミカルシンセティ
ックほどでは無いにせよ、永く使える事に越した事は無い。沢山釣れるに越した事は無い。では、バンブーフライロッドの寿命はどの
位なのだろうか?勿論、竹のシャフトに掛かる負荷は色々考えられる。また、天然素材なので、竹その物の強度にも個体差があるの
は確かだ。画一的な強度と完成度を持つカーボングラファイトでさえ、ストレス疲労による寿命がある。では、バンブーロッドに求めら
れるフライロッドとしての性能や耐久性は、どの程度の物なのだろうか?カーボンロッドの十分の一?百分の一?或いは、千分の一
?しかし、具体的な数値で表す事は出来ない。では、何匹魚を釣ったのか?何回キャストできたのか?何回釣りに行けたのか?何年
使えたのか?どんな大物を釣る事が出来たのか?これも、不確定な表現である。では、全く使われずに保管されて来たコレクション、
或いはディスプレイされていたロッドはどうなのだろう?果たしてこれらは、釣竿だったのだろうか?いや、ただの骨董品、または美術
品なのである。そしてまた、これらの疑問に対する回答も様々だと思う。全く未使用のロッドも、長い時間を掛けてあらゆる部分が確実
に劣化するのだ。竹その物の湿度や温度による劣化、接着剤の劣化、バーニシュの劣化、ニッケルシルバーやガイドの錆び、これら
の劣化は空気と水がある限り防ぐことは不可能である。だだし、重要な事は、現在バンブーフライロッドに求められるのは、カーボンロ
ッドと同等の強度や耐久性では無く、普通にフライフィッシングを楽しむ為の、最低限の強度と耐久性を持っていれば良いと言う事だ。
結論から言うと、バンブーロッドの価値は使う人、各々が決める事であり、他と比べる物では無い。気持ち良くフライフィッシングが楽し
む事が出来れば、それで良いのである。それだけで十分存在価値があると思う。そして、もしその存在価値を少しでも永く維持しようと
思うならば、無理な使い方は出来るだけ避け、傷んだら早めに修理を施す事が重要だ。自分で簡単に出来る修理もあるので、小まめ
に治したりメンテナンスする事が重要である。例えば、最も重要なのは表面のバーニッシュだ。竹製のシャフトの最大の弱点は水分で
あり、目には見えない小さな傷からも水分は入る。これは、川の水だけでは無く、空気中の水分も含めての事だが、浸み込んだ水分
で、やがてシャフトが腐って折れる原因になる。特にフェルールのラッピング部分に出来易いクラックなどは要注意だ。これも、エポキ
シやウレタンで簡単に補修できるので。多少、見た目が悪くなっても、表面に凹凸が出来ても、素早く治す事が望まれる。放置していて
、折れてしまうよりは良いだろう。時々、シャフト全体をルーペで見廻し、小さなキズでもすぐに修理する事が重要なのだ。それだけでも、
ロッドの劣化をかなり防ぐことができる。もし、それが古いロッドやヴィンテージの銘竿であれば尚更だが、思い切って、リフィニッシュや
リビルドをした方が、大切なロッドを長持させる事ができるし、新品同様に戻ったバンブーロッドは何とも気持ちの良い物である。何れに
せよ、夢の素材『カーボンファイバー』が発明された時点で、全てが変わったのは確かである。ただ唯一、釣り竿としての完璧な性能を
持つカーボンロッドに勝るとすれば、それは、バンブーロッドの持つ優美さと繊細さだと思う。竹竿の寿命は使えば使うほど短くなる。極
端に言うと、毎日使えばすぐに折れてしまうのである。そこにはカーボンロッドほどの夢の様な耐久性は無い。だから、永く使うのであれ
ば、やはり使用をある程度制限するしか無い。つまり、特別な日の、特別な流れで使う。これが、バンブーロッドを長持ちさせる唯一の
方法ではないだろうか?
Episode 15 消えた6番ロッド ブラウントラウトの絶好ポイントであるダム湖が自宅から車で40分の所にある。いつの事だったかは、
殆ど忘れてしまったが、そのダムに私のオーヴィスとラムソンが沈んだ事を思い出した。確かこれもかなり昔の話ではあるのだが・・・。
大事件だったので、その情景だけは今でもハッキリと覚えている。そのダム湖は、地元では有名なブラウントラウトの釣り場で、当時は
毎週のように通っていた。魚影は濃く、アベレージは50p前後だが、最大で65pを上げているポイントだ。それも、丘っぱりでだ。しか
し、立ち込めるポイントは少なく、岸からの釣りは限られた場所でしかできなかった。対岸は殆ど垂直な崖になっていて、水深もかなり
ある。のちにボートのアンカーを沈めた時は、20mのアンカーロープでも足りなかったほど深かった。対面の崖には所々に木が生えて
いて、枝が水面まで垂れていた。そして、いつもその枝のすぐ下で起こる沢山の大きなライズを見ては、いつか釣ってやると思っていた
。木製のボートやカヌーを使って釣る事はできただろうが、友人が貸してくれると言っても重すぎて面倒だったので断っていた。日本製は
まだ無かったが、当時、フローティングチューブがアメリカで販売され始めていた。これは手軽でいい!とは思ったが、足ひれを付けて
漕いでもその機動力は知れている。更に目指すポイントまでは200メートルはある。往復で400メートル以上、これもまた面倒だでダメ
だ。そんなある日、遂に見つけた。毎月、アメリカから取り寄せていた数冊の雑誌の中の、確かフィールド&ストリームだったと思うが、
その中に出ていたスペシャルな奴、双胴の簡易ボートだ。今では普通に海外のビデオで見る事が出来るあれだ!2本の大きなビニー
ル製の筒状の浮フローターにフレームとイスをくっ付けたやつだ。オールで漕ぐタイプで、フローティングチューブと比べると、格段に機
動性があり、遥かにスピードのでる奴だ。その頃は、まだ、日本には輸入されていなかった様なので、仲間2人分と、合わせて3艇、す
ぐにアメリカに注文した。多分、3〜4か月で来たと思うが、来るや否や、すぐに車に積んで出撃したのは言うまでも無い。結果は予想
通りの入れ食い。誰も行けなかったポイントで自由に釣れる、まさに釣り放題だった。水面の1m程上に垂れた枝の下にドライフライを
打ち込めば、10秒数える前に喰い付いた。多い日には半日で50pアップを20尾近くリリースした事もある。しかし、そんな夢の様な天
国での釣りにも悪夢は起こる。釣り人の欲望には際限が無い。或る日、ドライフライでの50pには飽き足らず、70p級を狙ってロッド
を2本仕立てで出撃した。1本はいつもの5番ロッドにフローティングラインのドライフライシステム。もう1本は6番ロッドにタイプVシン
キングラインのストリーマーシステムだった。ポイントに着いた私は、いつもの様にドライフライで5〜6匹釣り、その後はタイプVでトロフ
ィーを狙う事にした。しかし、深くカウントダウンしてもストリーマーには全く反応が無かったので、諦めるしかなかった。やっぱりダメか!
と思いつつも、岸まで辿り着くの間、ストリーマーでトローリングを試みる事にした。そのボートには2個のロッドホルダーを取り付けてい
て、移動する時は、ロッドをホルダーに立てたまま漕ぐシステムだった。勿論、そのトローリングしているタイプVに喰い付くとは思ってい
なかったので、然程、注意はしていなかった。周りを見ながらゆっくりと漕いで、ライズを探しながら岸に向かっていた。すると、左側で大
きなライズを発見!既に、ラインを巻いて左側のホルダーに立てたドライフライのシステムを再度用意してキャスト!残念ながらフライに
出なかったので、ロッドを仕舞おうとホルダーを見た瞬間!あれっ!何か無いっ!そう、右側に立ててあったトローリングのロッドが消え
ていたのだ。左で起こったライスに集中していたので、右側のロッドに何が起こったのか判らなかった。すぐに辺りを漕ぎ廻り、ロッドを探
した。カーボンロッドなので中は空洞、リールも軽いのですぐに沈む筈は無い。多少は、浮いている筈だと自分い言い聞かせながら30分
程探して見たが、その姿を見付ける事は出来なかった。水中に残っている倒木にでも引っ掛って、ロッドがホルダーから抜けたのか?い
や、ボートは停止していたので、何処かに引っかかったとしても、抜け落ちる筈は無い。もしかしたら、もしかしたら、ドライフライをキャスト
している間にモンスターがストリーマーに喰い付いて、ロッドごと持って行ってしまったのか・・・・? しかし、そんな事はどうでも良かった。
なぜならば、その消えた6番ロッドは、手に入れたばかりのオーヴィスの新作ロッドだったのだ。そして、その日がデビュー戦だった事も
思い出してしまった・・・・。
Episode 16 Guardian deity. 守り神と呼ばれる神は日本中に沢山いるだろう。ただし、その殆どは伝説であり、神話だ。しかし、北海
道の川には本物の守り神が数多くいる。そして、その守護神達のお陰で守られている物、それはズバリ、我々釣り師の大好きな鱒達であ
る。実は、私も何度か守り神達にお会いした事がある。北海道なら何処にでもいて、いつでも会えると思われがちだが、実はそうでも無い
。実際には千回を超える源流釣行でも数える程しか会う機会は無い。つまり、その確率はかなり低く、恐らく、数百分の一以下だろう。その
大勢いるにも係らず滅多にお会いできない守護神こそが、そう、山親爺こと北海道のヒグマである。北海道では原則、岩魚の放流はされ
ていないので、殆どがネイティブである。また山女魚はと言うと、海のサクラマス資源を増やす為、一部の養殖用河川の下流域に放流され
てはいるが、小河川のそれはネイティブであり、大昔から自然繁殖を繰り返してきた物だ。北海道の自然には天然の岩魚や山女魚が沢山
生息しているが、それらが全く居なくなる事は無い。90年代のアウトドアーブームで一時期、釣り人が増え、魚影も薄くなった時期もあった
が、今は釣り人の数もかなり減ったので資源も回復しつつある様だ。しかし、どんなに川釣りがブームになったとしても、或いは、リリースさ
れなかったとしても北海道の川から鱒達が完全に消える事は無い。何故か?ここに魚が残る最大の理由、それは、釣り人の数が少ないか
らでは無いし、禁漁区の設定などで保護されているからでも無い。それは、守り神達が守っているからなのである。そう、重要なのはヒグマ
と言う守り神の存在なのだ。ヒグマは本州に生息するツキノワグマよりも大型で、獰猛である事が一般的にも知られている。更に、北海道
内では年間を通してかなりの数の人々が遭遇し、襲われている。時には、ハンターでさえ犠牲になる事もあるので、それらの事実と昔から
の言い伝えが元になり、「北海道の山はヒグマが沢山いるので、とても危険だ」と言うのが世間一般の常識となっている。勿論、子供だけで
山に入るのは危険だと、遊びに行く事さえ止められる。だから、すぐ近くに山や川が在っても気軽には行けない。熊が出るぞ!大人に言わ
れ、躊躇うようになる。近頃は都市部近郊の公園などにも時々出没するので、すぐに立ち入り禁止にもなる。そして、これらのヒグマに対す
る注意喚起が必要以上に恐怖心を人々に植え付けているのだ。但し、無防備で山に入って事故に会うよりは、より注意する事に越した事
は無い。どちらかと言えば釣り人は臆病なのか、注意と警戒を怠らないが、山菜取りの人々の方が遭遇事故に会う事が多い。此処で、ヒ
グマの保護や自然保護に関して論ずるつもりは無い。ただ、結果的にヒグマに対する恐怖心が人々を山から遠ざける結果になっている事
に注目しているのだ。例えば、海釣りをする友人を川釣りに誘っても、簡単に断られる事が多い。「川も面白いから一度行ってみないか?」
と誘っても、殆どの人からは「熊が出るから」「熊が怖いから」と異口同音に返ってくる。「あれは、偶々ニュースで言っていただけで、殆ど会
う事など無いよ。」と言っても聞く耳を持たない。そして、こう返って来る。「海釣りならいつでもいいよ」と。北海道民のヒグマに対する過大な
恐怖心は簡単には拭い去る事は出来ないだろう。かなり根深い物がある。勿論、これは一般人に限った事では無く、川釣り師にも当てはま
るのだ。キャリアの長い年配の釣り師でも、実際は中流域での釣りまでで、源流を攻める人は極端に少ない。特に、フライやルアーの若者
達は殆ど源流に行く事は無い。例え「源流に行けばパラダイスがあるよ」と教えても、返って来る言葉は皆同じ、「ヒグマが出る!」である。
その結果、畑を流れる里川や下流域の釣りが中心に成らざるを得ない。勿論、フライフィッシャー達も同じだ。私も源流域では殆ど会った
事が無い。私自身も恐怖心が全く無い訳では無かったが、パラダイスに誘われる気持ちを抑える事が出来なくて、源流に通っていたのだ。
釣り人でさえこうなのだから、北海道の鱒釣りは永遠に安泰である。源流域では日夜、岩魚や山女魚、虹鱒、ブラウンが生産され続けてい
るのだ。つまり、多くの河川では源流域が守られているので、資源が枯渇する事は無い。下流域でどんなに釣られても、毎年、鱒達は雪代
と共に次々と上流から落ちて来るのである。だから安泰なのだが、源流域が鱒の生産工場になっているのは全て守護神様のお陰である。
ここ数年の事だが、鱒達を守っている?増やしている?事象が他にもある事に気付いた。それは、近年、道南地方での森林の伐採が少な
くなって来た事だ。北海道は広いので、道央・道北・道東などの他の地域の事は判りかねるが、明らかに道南の森林伐採は減少している。
自然保護が目的では無く、林業としての採算が合わないからなのだろうが、明らかに、源流域での伐採は無くなっている。その為、私が大
好きな川たちは、殆どの支流域が近年立ち入り禁止になってしまった。奥で伐採が行われない為、入り口ゲートが施錠されているのだ。以
前から、虹鱒が自然繁殖してる絶好ポイントの支流も、ここ10年立ち入り禁止になっている。細く険しい林道は崖崩れで源流に行く事は出
来ないだろう。恐らく、10か所以上は崩れている筈だ。昔も、大雨の度に2〜3か所崖崩れが起きる場所だったが、木材運搬のトラックを
通す為にすぐに開通させていた。それは、釣り師にとっては好都合な事だったが、今は木材の切り出しも無いので不通になった林道を開
通させる事も無いだろう。この先何十年、手付かずの自然な流れのままになるのか?私も無理して行く予定も無いが、恐らくそこは、昔以
上に虹鱒のパラダイスになっている事だろう。皮肉なものだが、自然破壊とされている行為が釣り場へのアクセスを容易にしているのは事
実である。つまり、森林伐採が無くなれば、車で行く事は出来ないと言う事だ。勿論、道具を担いで片道7〜8時間も歩けば行けない事は
無いのだが、銃の無い日本で其処へ行くのは命がけの釣行となるだろう。蛇足になるが、その支流こそが、熊の糞13連発の伝説の場所
である。それは、昔、車で行っていた頃の事だが、僅か林道2〜3qの区間にヒグマの糞が13か所あったのだ、それも、乾いた古い物で
は無く、まさに湯気が出ていそうなほど真新しい糞だった。その時は相棒と二人の釣行だったが、二人ともある光景がすぐに頭に浮かん
だ。ヒグマの糞は良く見かけるが、いつも、一度に見るのは一ヶ所か二ヶ所で、精々多くても一本の林道では三ヶ所が限度だ。それが、何
とその時は13ヶ所だ。単純計算でも4頭以上のヒグマが林道を闊歩している姿が二人の目に浮かんだのだ。私はヒグマの糞を見付ける
と、いつ頃の物なのか?何を食べているのか?などを知る為に、木の枝で突いて分解して見る事にしている。但し、殆ど木の実を食べて
いるので、新しい物でも臭くない事は付け加えておこう。
自然破壊と釣りの話をもう一つ。アメリカやニュジーランドの川を釣り歩くと、全く護岸されていない流れが沢山ある。手付かずの環境の中
でのフライフィッシングには格別なものがあり、釣り方も自然に合った方法になる。かなり昔の或る釣りの帰り道、相棒がポツンと言った。
「日本の川も護岸や堰堤を止めて、自然な流れに戻せばいいのに・・・・」。そして私は彼にこう返した。何を自然保護団体のみたいな事を言
っているんだ。そんな事をしたら俺たちはもう気軽に源流釣行に行けなくなるぞ!俺たちの大好きな源流の釣り。俺たちのパラダイスは護
岸と堰堤があるからこそ成り立っているんだよ。そして、更に加えた。もしも、護岸や砂防ダム、堰堤などが無ければ、大雨一発、台風一発
でアクセスできる林道の橋も道も無くなる。つまり、釣りには行けなくなるのだ。それでも良ければ護岸も砂防ダムも、堰堤も壊せばいい。だ
が、俺はただの釣り師だから釣りに行きたい。鱒を沢山釣りたい。だから、自然保護を高らかに謳っても橋が無くなるのは非常に困る。これ
は、自然を愛するフライフィッシャーの釣り師としての永遠のジレンマである。更に大きなジレンマもある。私がフライフィッシング引き込んだ
者達の中には、より自然主義に傾く者も多い。私自身も昔は鱒を増やそうと放流もした。いつの日かアメリカやニュージーランドの様になる
事を望んで・・・。しかし、現在は外来種に対する風当たりが強くなり、それらを駆除しようとする動きも多い。それらの外来種の殆どは、その
昔、食料として移入されたものだ。虹鱒もそうだったが、戦前はタンパク源として北海道内の淡水で養殖されていた。そして、彼らは北海道
の環境に馴染み、野生化して棲み付いた。俗に言う『ワイルド・トラウト』である。しかし、皆が腹いっぱいになった現在、突然、外来種として
差別され始めたのである。極端な話、腹が減っている時は必要だが、今は腹いっぱいだから必要ない、駆除しよう。と言う、実に愚かな行
動である。確かに、『ネイティブ』と言われる在来種を保護する事は重要だが、棲み分ける事によって共存もできる筈だ。私は、ただの釣り
師なので、どんなターゲットでも鱒さえいれば釣りはできる。だが、ワイルドな虹鱒が沢山いる北海道の方がもっと好きである。また、そんな
虹鱒達も北海道の水と環境が好きだから自然繁殖したのだ。人間同士の利害関係や好き嫌いで放流したり、駆除するのは自由だ。しかし
、その土地に居付き自然繁殖する事は、大自然の神がそこで生きる事を認めた証しなのである。もし、神が認め無いのであれば、その時
は絶滅の道を辿るからである。
北海道の鱒の多くは海降し、大型化する。だから、昔から釣り人は大きなダムは無い方が良いと考えるし、砂防ダムや堰堤も無い方が良
いと考えて来た。仮にそれらがあっても最低限、魚道だけは付けるべきだと考えもする。すると、鱒も遡上し易くなるし、自然産卵も増える
だろう、結果、鱒も増えると言う筋書きだ。近年、北海道では小さな川の砂防ダムにも、突然魚道が付けられる事がある。だが、それらは
自然保護や環境保護などでは無く、田舎の小さな公共土木工事の予算をただこなしているだけだ。しかし、釣り師が面白いのはそこから
だ。面白いと言う表現は不謹慎かも知れないが事実は事実である。それは、もっと釣りが楽しくなる筈だと企んだ魚道。しかし、行政に訴
えて作らせたその魚道のせいで、逆に釣りが楽しく無くなりそうなのである。
そう、これが釣り師のエゴなのである。多くの川に魚道が出来
たお陰で、魚が源流域まで遡上するようになった。しかし、それが釣り師にとっては大きな迷惑になる場合が多い。産卵の為に源流まで遡
上した大型魚は餌を食べないので釣りの対象にはならない。それらは、北海道ならではの巨大な鮭やサクラマスの事である。彼らが源流
の小さなプールに入れば、もうそのポイントは釣りにならなくなる。岩魚も山女魚も虹鱒も釣れなくなる。そんな中でもエッグ・パターンのニン
フでも流して無理矢理釣る事もできるが、そこまでしようとは思はない。今年も、5月から大きなサクラマスが渓流の絶好ポイントに遡上して
、絶好のドライフライ・ポイントをダメにしていた。私の大好きな虹鱒のポイントに出かけた時の事だが、プールを覗き込むと、何と流芯のど
真ん中に大きなサクラマスが2匹いた。このポイントでは40p前後のワイルド・レインボーがターゲットだったが、50〜60pはあろうかと
言うサクラマスに占領されていた為、そのポイントの家主である虹鱒の影は何処にも見えなかった。その他にも、道南の渓では5月のサク
ラマスから12月の鮭まで、殆ど釣りにならない好ポイントが数多く見られた。今後、これ以上、巨大な遡上魚が増えるようでは、ドライフラ
イで山女魚や岩魚、虹鱒が狙えなくなる日は近いかも知れない。これも釣り師の勝手なエゴだが、この先、砂防ダムで仕切られて魚が遡
上できなかった頃の川、自然破壊の代名詞の様な分断されていた川を懐かしむ事すらあるかも知れない。そんな、堰で分断されていたド
ライフライ天国を懐かしがるフライフィシャーが今後増えるかも知れないのも、また釣り師のエゴである。
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